
大学一年の冬だった。
授業帰り、経堂の駅前の小さな本屋にふらりと立ち寄った。
文庫棚の前で、なぜか吸い寄せられるように手に取った一冊があった。
三島由紀夫『金閣寺』。
それが、僕の人生で「初めて自分から読みたいと思った小説」だった。
正直、三島由紀夫のことは変わった人だという印象しかなかった。
テレビで見た演説。やけに高い声。東大卒のエリートなのに、どこか不器用で、危うくて、時代からズレている男。
でも、なぜだか他人に思えなかった。
どこか、自分と似ている気がした。

コンプレックスを抱えた少年と、金閣寺
当時の僕は、劣等感の塊だった。
本当はプロ野球選手になりたかった。
甲子園に出て、阪神の4番を打つ。そんな夢を本気で信じていた少年だった。
でも現実は違う。
家庭の価値観もバラバラで、
父は「夢追い型」、母は「学歴信仰型」。
どちらにもなりきれない中途半端な自分。
「自分は何者にもなれないのではないか」
そんな漠然とした劣等感を抱えながら生きていた。
溝口は、ほとんど僕だった
『金閣寺』の主人公・溝口は、吃音を抱え、社会にうまく馴染めない青年だ。
言葉が出ない。
他人とつながれない。
世界の外側にいる感覚。
それでも彼は、金閣寺という「絶対的な美」に救いを求める。
「そこに辿り着けば、自分は赦される」
その思い込み。
ああ、これだ。と思った。
プロ野球選手になれば。
成功すれば。
お金を稼げば。
自分は価値ある人間になれる。
僕も同じ構造で生きていた。
観念が人を追い詰める
でも三島は残酷だ。
金閣寺という「美」は、溝口を救わない。
むしろ、彼を追い詰めていく。
理想は人を救うどころか、時に人を壊す。
それは現代の事件にも似ている。
「こうなれなかった自分」
「本来得られたはずの人生」
そんな観念が暴走したとき、人は現実を燃やしてしまう。
金閣寺放火は、決して昔話ではない。
あれは今も続いている、人間の構造だ。
だから彼は燃やした
溝口は金閣寺に火をつける。
美を壊すためではない。
観念を壊すために。
「こうあるべき自分」
「手に入れるべき理想」
それらすべてを灰にして、
真っ白な自分に戻るために。
あのラストの静かなタバコの場面。
あれほど冷たく、澄んだ終わり方は他にない。
三島の知性の刃が、最後まで光っている。
京都を歩きながら思ったこと
数年後、僕は京都を訪れた。
三島が泊まった宿、歩いた寺、見上げた門。
妙心寺の巨大な南門を見上げたとき、
「ああ、三島はこれを書いたんだ」と腑に落ちた。
難解に見える文章なのに、
実際は信じられないほど正確に風景を写し取っている。
三島は、観念の作家である前に、
恐ろしいほどリアリストだった。

僕の人生を変えた一冊
もし、あの冬の日に『金閣寺』を手に取らなかったら。
僕はたぶん、今こうして文章を書いていない。
三島由紀夫は、
僕に「文学」という武器をくれた。
コンプレックスは、言葉に変えられる。
劣等感は、物語に変えられる。
それを教えてくれた最初の一冊。
だから今でも思う。
人生で最初に読む本は、
案外、自分の運命を決めてしまうのかもしれない。
僕にとって、それが『金閣寺』だった。

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