
2025年を終え、今日は1月5日。
年末年始の商戦がようやく一段落した。
今年の魚は厳しかった。
頼みのブリもカキも価格が高騰し、利益を取るのは容易ではなかった。
予算は現実離れしており、心も身体も削られる日々が続いた。
それでも――
2025年は、私の人生を振り返ってみても、間違いなく「良い年」だったと思う。
高齢の両親は大きな病気をすることなく過ごしてくれた。
春には、自分なりの栄転もあり、より良い店で新しい経験を積ませてくれた会社には、素直に感謝している。
3月には、長年のコンプレックスだった「女性との、金銭を伴わない性交」を経験した。
精子提供という形ではあったが、人生で一度、それをしてみた。
妊娠したかどうかは分からない。
だが、どこかに自分の子孫が存在している“かもしれない”という可能性だけでも、
地球に生まれてきた身として、少しだけ嬉しく思えた。
大井町での精子提供を終えた後、
数多くいる社員の中から選抜され、出張を伴う研修にも参加させてもらった。
研修レポートが評価されたのは、間違いなくAI様のおかげだ。
秋には、万博に二度足を運んだ。
誰もが行きたがるパビリオンの多くを観ることができ、
現地で出会った人たちとの交流も、忘れがたい記憶になった。
あの二日間は、本当に楽しかった。
展示内容はもちろんだが、
あの場所だけは、世界平和が実現しているかのような、
独特の空気が流れていた。
「パンとサーカスを与えておけばよい」という言葉がある。
自分もまた、その仕掛けに乗せられている一人なのだろう。
それでも、あの場所には、
孤独を孤独のままにしない力が確かにあった。
車いすで来場している方も多く見かけた。
五体満足でいられる時間が、いつまで続くかは分からない。
次の万博は、早くても25年後。
そのとき私は69歳だ。
今のように走り回れるはずもない。
炎天下の中、よくあれだけ動き回れたものだと、今さらながら思う。
万博の感動を、もっと誰かと語り合えたらいいのだが、
東京では、周囲に行った人がほとんどいない。
あの日々は、次第に夢のような感覚になっていく。
東横イン弁天町に2泊3日で宿泊し、
1日は万博、帰りに海遊館、通天閣、飛田新地に寄って帰った。
それでも、「もっと万博に行けばよかった」という後悔は残っている。
印象に残っているのは、
始発で東口に向かい、プロミネントカードで入場したとき、
葛飾区から来た同年代の女性と話した、あの短い時間だ。
また会いたい――
そう思える出会いが、人生を左右することもある。
あの日の交流は、ささやかでありながら、確かに特別だった。
二度目は、3時30分にホテルを出てタクシーで西ゲートへ。
5時に並び、8時50分、最初の入場を果たした。
住友館やパソナ館も観ることができ、悔いは少ない。
夢洲は、もう取り壊されているのだろうか。
あの全長2025メートルの大屋根リングの中に、
各国のパビリオンが連なる光景を、
無かったことにはしたくない。
最後に一周できなかった後悔はある。
途中で降ろされても、なお先へ進もうと警備員に食い下がる人の姿も見た。
多くの人にとって、万博は一度きりだ。
後悔なく過ごしたい――
その必死さが、会場全体を走らせていた。
人生の実利で言えば、万博など夢幻のようなものだ。
それでも、皆が一生懸命だった。
どこか、高校野球のときと似た気持ちになった。
年末年始の商戦も、無事に終えられた。
1997年、高校3年生だったあの年と並んで、
2025年は、きっと私はこう振り返るだろう。
「人生で、最も幸せな年だった」と。
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