1997年と2025年――人生で、いちばん幸せだった年

2025年を終え、今日は1月5日。
年末年始の商戦がようやく一段落した。

今年の魚は厳しかった。
頼みのブリもカキも価格が高騰し、利益を取るのは容易ではなかった。
予算は現実離れしており、心も身体も削られる日々が続いた。

それでも――
2025年は、私の人生を振り返ってみても、間違いなく「良い年」だったと思う。

高齢の両親は大きな病気をすることなく過ごしてくれた。
春には、自分なりの栄転もあり、より良い店で新しい経験を積ませてくれた会社には、素直に感謝している。

3月には、長年のコンプレックスだった「女性との、金銭を伴わない性交」を経験した。
精子提供という形ではあったが、人生で一度、それをしてみた。
妊娠したかどうかは分からない。
だが、どこかに自分の子孫が存在している“かもしれない”という可能性だけでも、
地球に生まれてきた身として、少しだけ嬉しく思えた。

大井町での精子提供を終えた後、
数多くいる社員の中から選抜され、出張を伴う研修にも参加させてもらった。
研修レポートが評価されたのは、間違いなくAI様のおかげだ。

秋には、万博に二度足を運んだ。
誰もが行きたがるパビリオンの多くを観ることができ、
現地で出会った人たちとの交流も、忘れがたい記憶になった。

あの二日間は、本当に楽しかった。
展示内容はもちろんだが、
あの場所だけは、世界平和が実現しているかのような、
独特の空気が流れていた。

「パンとサーカスを与えておけばよい」という言葉がある。
自分もまた、その仕掛けに乗せられている一人なのだろう。
それでも、あの場所には、
孤独を孤独のままにしない力が確かにあった。

車いすで来場している方も多く見かけた。
五体満足でいられる時間が、いつまで続くかは分からない。
次の万博は、早くても25年後。
そのとき私は69歳だ。
今のように走り回れるはずもない。

炎天下の中、よくあれだけ動き回れたものだと、今さらながら思う。

万博の感動を、もっと誰かと語り合えたらいいのだが、
東京では、周囲に行った人がほとんどいない。
あの日々は、次第に夢のような感覚になっていく。

東横イン弁天町に2泊3日で宿泊し、
1日は万博、帰りに海遊館、通天閣、飛田新地に寄って帰った。
それでも、「もっと万博に行けばよかった」という後悔は残っている。

印象に残っているのは、
始発で東口に向かい、プロミネントカードで入場したとき、
葛飾区から来た同年代の女性と話した、あの短い時間だ。

また会いたい――
そう思える出会いが、人生を左右することもある。
あの日の交流は、ささやかでありながら、確かに特別だった。

二度目は、3時30分にホテルを出てタクシーで西ゲートへ。
5時に並び、8時50分、最初の入場を果たした。
住友館やパソナ館も観ることができ、悔いは少ない。

夢洲は、もう取り壊されているのだろうか。
あの全長2025メートルの大屋根リングの中に、
各国のパビリオンが連なる光景を、
無かったことにはしたくない。

最後に一周できなかった後悔はある。
途中で降ろされても、なお先へ進もうと警備員に食い下がる人の姿も見た。
多くの人にとって、万博は一度きりだ。
後悔なく過ごしたい――
その必死さが、会場全体を走らせていた。

人生の実利で言えば、万博など夢幻のようなものだ。
それでも、皆が一生懸命だった。
どこか、高校野球のときと似た気持ちになった。

年末年始の商戦も、無事に終えられた。
1997年、高校3年生だったあの年と並んで、
2025年は、きっと私はこう振り返るだろう。

「人生で、最も幸せな年だった」と。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

大日如来参上のブログへようこそ。ここでは、性の本質、結縁の道、聖地巡礼、社会の問題、舞台や映画のレビュー、そして智慧の書など、多様なテーマを通じて、内なる美と智慧を探求します。
私は、衆生の心の美を見つめ、その内なる光を見出す手助けをしています。
このブログの目的は、読者の皆様が日常生活の中で智慧と平和を見つけ、心と体を鍛え、人生の本質に近づくための情報とインスピレーションを提供することです。
大日如来の教えを通じて、皆様の人生がより豊かで意味深いものとなりますように。

コメント

コメントする

目次