新宿バルボラ水瀬ななせさんと過ごした静かな幸福!風俗というラベルを超えて。

新宿バルボラへ、年内最後のお遊びに向かった。今回は初めての“二本立て”で、午前10時と夕方17時30分にそれぞれ予約を入れていた。最初に案内されたのは、水瀬ななせさん。紹介文には「正統派美女」とあるが、実際に対面した瞬間、その言葉が誇張ではないことがすぐに分かった。柔らかな笑顔、静かに落ち着いた所作、囁くような優しい声——彼女の佇まいには、保育の仕事に携わっていたという経歴が自然と滲み出ていた。彼女と話していると、ここが風俗店であることさえ忘れてしまうほど、心がふっと緩む。

美しい顔立ちは、若い頃の天地真理を思わせる。私はいつも思うのだが、“本物の美女を見抜く目”という点では、ソープランド店長ほど優れた職業はないのではないか。紹介文は少し誇張されていることも確かにあるが、彼らはそれを生命線として働いている。実際、会ってみると「なるほど」と納得することのほうが多い。もしかすると、将来ブレイクする芸能人のオーディション審査員に、老舗ソープの店長を1席用意してもいいのではないかと思うほど、彼らの“選美眼”は侮れない。

水瀬さんは、バルボラで2年間働いているという。その年月の中で、きっとさまざまな苦労もあったはずだ。会話の終わりにふっと俯く瞬間があり、それを見るたびに、この仕事が“心身を削って収入に変える”職業であるという現実を思い知らされる。一方、新人は経験こそ浅くても勢いがあり、こちらも深く考える必要がない分、気楽に楽しめる。その違いがまた、面白い。

彼女は、顔も表情も本当に可愛らしい。こちらの話にうなずきながら耳を傾けてくれる姿勢は、ただそれだけで癒やされる。かつて、近くの深海魚で嫌な思いをしながら、“性欲だけ”を満たしていた自分を思うと、今日はまるで楽園の中にいるような気分になる。普段の仕事は苦行そのもので、歳を重ねて鏡に映る自分の姿にも自信がなくなる。だからこそ、ソープの女性が以前よりも純粋で美しく見えるのかもしれない。冷静に考えれば、「風俗店にいる」というラベルが勝手に認知を歪めているだけで、目の前にいるのは、ただ一人の女性にすぎない。

そういえば、中国人旅行客の渡航制限が始まってから、中国人男性客が激減し、「外国人+2万円」の枠が消えたために残念がる声も多いらしい。高市総理のひと言が、こんな場所にまで影響を及ぼしている。やはり、政治は時に虎より恐ろしい。

水瀬さんと向き合っていると、私はつい、私的な質問——住まいはどこ?普段何しているの?——といった話題を避けたくなる。それより、この空気の温度、この距離感、この穏やかな時間そのものを大切にしたくなる。今こうして振り返っていても、彼女との間に“壁がなかった”瞬間の心地よさだけが胸に灯っている。だから、それ以上を言葉にしない。言葉にしてしまうと、こぼれてしまうものがあるからだ。

思えば、私の中にある「全ての思念を整え、意味づけようとする癖」も、こうした愛情の瞬間を求めているからこそ生まれるものなのだろう。言葉で説明しきれない幸福が、確かにそこにはあった。

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