
責任者になって私生活が変わった──45歳を前に、仕事と夢の狭間で感じた現実と希望。万博ロスの心を癒すために訪れる上野公園の美術館めぐりを通じて、「生き方」を見つめ直すエッセイ。
責任者になって、私生活が制約されるようになった
責任者として働くようになってから、私の私生活は大きく変わった。
以前は夜に小説を読みながら一日を締めくくるのが楽しみだったのに、ここ3年ほど、落ち着いて読書した記憶がない。
仕事のことが、いつも頭の片隅にこびりついている。
まるで、心の奥に“醜く凝り固まった何か”が巣くっているようだ。
お金を稼ぐというのは、つまりこういうことなのだろう。
45歳を前に思う、作家になりたいという夢
私はずっと「作家になりたい」という夢を抱いてきた。
気づけば、来年で45歳。──三島由紀夫が亡くなった年齢だ。
けれど、井上靖が作家デビューしたのも45歳だった。
そう思えば、まだ間に合うはずだと、自分に言い聞かせている。
「今さら、何ができるのか」「何のために書くのか」
そんな問いが、最近よく頭に浮かぶ。
自己顕示欲なのか、それとも、今より高い場所から景色を見てみたいという願いなのか。
日本社会の「ガラスの地下室」に生きる男性たち
ある新聞記事にこう書かれていた。
「女性がぶつかるのはガラスの天井。男性がぶつかるのはガラスの地下室だ。」
この言葉が、妙に心に残っている。
上を目指しても報われず、下へ落ちないように踏ん張り続ける。
それが、責任者として働く多くの男性が抱える現実なのだと思う。
「この社会で上に行くには、小説でも書いてヒットさせるしかないのかもしれない」
そんな皮肉な思いすら浮かぶ。創作への渇望は、人を狂気にも近づける。
万博で見た「社会の縮図」──競争と秩序の境界線
先日訪れた大阪・関西万博では、社会そのものを見た気がした。
「一生に一度の体験を」と誰もが願い、開場と同時に人々は一斉に走り出す。
警備員の「走らないでください!」という声、
スタッフの「未来の子どもたちがあなたたちを笑っていますよ!」という叫び。
人は、魅力的な世界を前にすると、
「せめて一日だけでも特別でありたい」と願わずにいられない。
だが現実社会も同じだ。
パン食い競争のように、良いポジションは早い者勝ちで奪われ、
気づけば“残っているのは不人気な業種だけ”。
これが、学歴社会・競争社会のリアルだ。
万博ロスと上野公園の美術館めぐり
万博が終わった後、私は「万博ロス」に近い喪失感を覚えた。
あの非日常の熱気から日常に戻ると、心にぽっかり穴が開いたようだった。
だからこそ、次の楽しみを自分でつくろうと思う。
来週は上野公園を歩き、心をリセットする旅に出る予定だ。
訪れたいのは以下の5つの展覧会。
- 東京国立博物館「運慶展」
- 国立科学博物館「大絶滅展」
- 国立西洋美術館「印象派展」
- 上野の森美術館「正倉院展」
- 東京都美術館「ゴッホ展」
翌日も仕事だから体調には気をつけたいが、
これだけの文化体験を一日で味わえるのは、上野ならではだ。
「夢」を保つために、人生を整える
責任ある仕事を続けながら、自分の夢を守るのは簡単ではない。
それでも、心の奥にある「創作への衝動」だけは失いたくない。
私は今も、45歳の自分に問いかけている。
「仕事の責任を果たしながら、どんな夢を追うべきなのか」
その答えを探すために、今日も現実を生き、明日を見つめている。
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