

NHKの『映像の世紀バタフライエフェクト』では、今回はニューヨーク同時多発テロを取り上げていた。番組は、犠牲者たちが最期の瞬間に家族や関係者へ電話をかけ残したボイスメッセージや、それを受け取った人々の証言を中心に構成されていた。倒壊直前まで現場で救助活動を続けた人々、墜落の瞬間まで本部へ状況を伝え続けたスチュワーデス、そしてテロリストに立ち向かった乗客たち――その行動が明らかになったのも、電話でのやり取りがあったからだ。人間の「善き行為」に光を当てる内容であった。
一方で、犯人と乗客のやり取りについては、墜落機に残されたボイスレコーダーに記録があるとされるが、それは国家が管理しており公開されていない。機内の機密情報が含まれるためだとも言われている。
番組全体は「市井の人々の善意」に強く焦点を当てていたが、私としては、なぜ加害者が「アラー」と叫びながら突入せざるを得なかったのか、その思想的背景に迫ってほしいとも感じた。視聴者の立場からすると、善意のみを強調した構成はどうしても尻切れトンボに思えてしまう。
現代に目を向ければ、アメリカはウクライナ戦争やイラン核施設への攻撃、イスラエルとガザ地区をめぐる紛争など、数々の軍事行動に関与している。そして国防総省の名を「戦争省」に変えようとするなど、より攻撃的な姿勢を強めている。世界が大戦前夜のような危機的様相を呈するなか、NHKの番組内容にも情報統制的な色彩が濃くなっているように見える。また、受け手である視聴者も、人間の善意に疑念を抱く時代だからこそ、「善意の物語」を求めてしまうのかもしれない。
例えば、赤いバンダナで口元を覆い、人々を助けながら命を落とした青年の話は、以前は「危機における人間性」を描いた一例として紹介され、日本でホームに転落した人を救おうとして命を落とした韓国人留学生の話と並べられたこともあった。その時には涙が自然と流れるほど説得力があった。しかし今回のように善意だけを繰り返し示されると、どうしても「押し売り」のような印象を受けてしまう。
それでも、命の終わりに残された声には特別な力がある。愛する人へ不器用ながらも必死に想いを伝えようとする姿は、やはり胸を打たれるものだった。
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