■ 世界が息づく空間
世界の国宝級芸術が来日すると、たいてい人混みに圧倒されて「なんだかな」と思うことが多い。
だがレオナルド・ダ・ヴィンチの**受胎告知**を初めて見たときは、違った。
今にも動き出しそうなほど精緻で、生々しく、言葉を失った。
現代の抽象絵画は素人の私には難しいが、受胎告知は万人を黙らせる圧倒的なリアルさがあった。
今回は、ダ・ヴィンチの手稿(ノート)まで展示されると聞き、「期待外れで終わりたくない」という不安もあった。
だが、実際に入ってみると──イタリアが本気を見せていた。
■ 歴史と共鳴する演出
入場前、壁面いっぱいに映し出される日本とイタリアの交流史の映像。
それが終わると壁がゆっくりと開き、会場内へ導かれる。
隣にいた若い男性たちが「鳥肌立った」と口々に言っていたが、私もまったく同じだった。
最初に現れるのは、16世紀にローマへ派遣された少年、伊東マンショの肖像画。
イタリアで初めて描かれた日本人だという。
ここから両国の交流が始まった──そんなメッセージが伝わってきた。
次回のオリンピック開催地がイタリアであることもさりげなくPRされていたが、それ以上に、国を超えた誠意を感じた。









■ 人類の葛藤を背負う美
展示の中でも圧巻だったのが、ファルネーゼのアトラス。
天球を首をかしげるようにして担ぎ、苦悶の表情を浮かべるその像は、2000年近くもの間受け継がれてきたという。
「芸術とは、人類の膨大な葛藤を引き受けるものなのかもしれない」
そう思うと、薄気味悪いほどの神々しさを感じた。
周囲では女性たちが「衣服のひだまでリアル」と感嘆していた。
どの作品もガラス越しではなく、手を伸ばせば届きそうな距離にある。
それでも誰も触れない──この治安の良さも、日本という国の一面なのだろう。








■ 聖と俗をつなぐ眼差し
ミケランジェロの**キリストの復活**は、磔刑前とは思えぬほど爽やかで清々しかった。
神聖視される存在だが、実際に会ったら、きっと人の心の闇も受け入れ、時に冗談も言う親しみ深い人なのだろう──
そんな想像が自然と湧いた。
そして、カラヴァッジョの**キリストの埋葬**。
国立西洋美術館で素描を見た時から注目していたが、実物は圧巻だった。
登場人物の表情が悲しみ・希望・祈りを同時に語り、まるでその場面に立ち会っているかのよう。
あまりの衝撃に立ち尽くし、係員に促されても動けなかった。











■ ダ・ヴィンチの手稿に宿るもの
クライマックスは、レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿だった。
人垣の隙間から写真を撮るので精一杯で、じっくり見る時間はほとんどなかったが──
数百年の時を超え、無数の人々がその文字をのぞき込む光景に、胸が震えた。
単なる学びや情報ではない、「魂の軌跡」を見ているようだった。







■ 芸術は、人を動かす力そのものだ
これほどの芸術作品を、2025年大阪・関西万博に届けてくれたイタリアに、心から感謝したい。
その力は、国境も時代も超えて、人の心を揺さぶり続ける。
芸術は、やはり人類の魂そのものなのだと思った。



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