■ アメリカ館を後にして
アメリカ館を出ると、私は地図を片手に夢洲の森を西南へと歩き出した。
走ってきた時は一瞬だった道も、歩いてみるとまるで別世界。
右手には静まり返った森が広がり、ふと富士の樹海のようだと思った。
ようやく視界にアースマートが現れ、道を挟んだ向こうに、水の流れ落ちる未来的な建物──いのちの未来(石黒浩館)──を見つけたとき、胸の奥がふっと高鳴った。
予約時間より早く着いた私は、喉の渇きを覚え、トイレを探して警備員に尋ねた。
三人に声をかけても皆そっけなく、「万博の警備って、ボランティアなのかな」と少し寂しい気持ちにもなった。
近くには落合陽一氏が率いるnull²パビリオンがあり、魑魅魍魎のような有機的フォルムが光を放っていた。
フェスさながらの音楽やダンスの生ライブがそこかしこで響き、テレビ越しとはまるで違う熱を肌で感じた。
■ 骨盤から響く声──「いのちの未来」へ
やがて入場の時間。
いのちの未来では、骨盤に響く特殊イヤホンをつけ、ひとり静かに館内を歩く。
耳ではなく身体に届く音声は、不思議と内面に直接語りかけてくるようだった。
最初に現れたのは、土偶、埴輪、仏像、人形──
そしてアンドロイド。
「人間が人間をつくる」行為として位置づけられ、人類史をなぞるように物語が始まった。
物語の中心は、幼い娘と祖母。
母を早くに亡くした娘が、「お母さんが帰ってきた」と喜んで話しかけると、その姿はすぐに消え、祖母は静かにそれを見つめている。
やがて祖母は、精神(脳)だけを残してアンドロイドとして生きるかどうかを問われる。
娘は残してほしいと願うが、祖母は葛藤する。
「誰かのためになることなら」──祖母がそう告げて決断したとき、娘が涙をこぼす姿に、私も堰を切ったように涙があふれた。
昨年亡くなった私の祖母と、声も仕草もよく似ていたのだ。
■ 技術は命を救えるのか
物語の終盤、館内には「人類の未来は、技術によって明るくなる」というメッセージが浮かび、「あなたは永遠の命を望みますか」と問いかけられる。
石黒浩氏の言葉の背後にある希望を感じながらも、私はどこかで首を傾げていた。
人間は科学では進歩しても、人間そのものの問題ではしばしば原始的な段階に戻ってしまう──
精神的な課題はイエス・キリストの時代から、実はそれほど変わっていないのではないか。
科学者には未来が明るく見えているのだろうか。
そんな思いが胸をよぎった。
最後に現れた、人と花が融合したような「神聖な存在」にも、私はどこか戸惑いを覚えた。
それでも、この問いを突きつけられる体験は、この場でしか得られない貴重なものだった。
■ 涙と満足のあとで
涙で視界をにじませながら館を出ると、胸に深い余韻が残っていた。
これだけ心を揺さぶられ、考えさせられる展示には、なかなか出会えない。
いのちとは何か──静かな森を歩きながら、その答えを探していた。
次回は、北へ抜けた先で立ち寄ったスシローでのひとときと、
未来の都市パビリオン体験について綴っていきたい。







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