
「ソープ嬢に本気で恋をするなんて理性が弱いだけだ」──そう言われれば、返す言葉もない。
けれど肩書をとり払ってしまえば、目の前にいるのは一人の生身の女性。いったん心を射抜かれれば、会えない間も彼女のことばかりを考えてしまう。まるで“甘い病”にかかったように──。
ガチ恋ブログに共鳴した理由
ある日読んだ「風俗嬢ガチ恋ブログ」には、家庭を持つ男性がすべてを投げ打って彼女を最優先にしてしまう葛藤が、痛いほど赤裸々に綴られていた。
妻にラブレターを渡したこともないのに、ソープ嬢には花束と手紙を何度も贈ってしまう――。不倫が後を絶たないのは、「理性をいくら装っても本能は異性を求めてしまう」というどうしようもない真実を突いているのだろう。
ドーパミンがもたらす“恋のハイジャック”
そのブロガーは、自分が冷静さを失った原因を「脳内ドーパミンの暴走」に求めていた。
確かに、彼女といると隠し事なく何でも話せるし、リアクションも心地いい。もっと話したい、もっと一緒にいたい――そう思っている時点で、私の脳も同じ“化学変化”を起こしていると認めざるを得ない。
共感と依存──“Rさん”に惹かれた二つのポイント
- 恥ずかしがり屋な素顔
“Rさん”は風俗嬢らしからぬ一般的な感覚を持ち、こちらが思わず共感してしまうほど自然体だ。 - 不安定な心境のシンクロ
年末年始の激務で弱った私の心は、「何かに頼りたい」という依存先を求めていた。過去に婚活で介護職の女性へ過度に執着したのも同じ12月だったと気づき、時期的要因も見逃せない。
悲劇性が生む“守りたい”衝動
かつて彼女が経験したという過酷な出来事──詳しくは伏せるが、想像を絶する体験談を聞くにつれ、「守ってあげたい」という感情が膨らむ。
それでも週に何度も他の男性と接客する彼女に真剣な好意を抱くのは正常なのか。理性は首を振るが、心は走り出してしまう。
80%は嘘? 現実との境界線
風俗の世界では「嬢の言う八割は嘘」とも言われる。実は既婚者かもしれないし、同棲中の恋人がいるのかもしれない。
以前、長く交際したフィリピン女性に子どもがいると知り、打ちのめされた経験を思い出すたび、胸がざわつく。それでもまた惹かれてしまうのは、若い女性と恋愛をする最後のチャンスだと感じているからかもしれない。
古代ギリシャ的“感謝”と私の恋愛観
私の中には、女神アテナに詩・音楽・身体を捧げた古代ギリシャの少年の精神が根付いている。
現実の女性と向き合うより、理想化した存在を心の張り合いにして歩んできた──それが私の“恋愛観”だったのだろう。
年明けに向けて――結論と自戒
年が明けたら、肩肘を張らず彼女に会いに行こう。
駆け引きも虚勢もいらない。ただ“ありったけの愛”を言葉にして話してみたい。
次に彼女と再会したあと、またここに報告しようと思う。その時、私はどんな結論にたどり着くだろうか。
あとがき
長文にお付き合いいただきありがとうございます。恋は理屈を超えると言うけれど、理性を失わないための“備忘録”として、この記録を残すことにした。果たして来月の私は――。
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