【東横インの夜と、深夜の新宿——鬼滅の刃を観たあとの混沌と自由】

鬼滅の刃の上映が終わったのは、夜もすっかり更けた12時過ぎだった。

興奮と余韻が入り混じる頭の中、目の前にあるのは東横インの簡素で静かな部屋。けれど、眠れなかった。

どうしても街の空気を吸いたくなり、私は夜の新宿に出た。

飲食店はまだまだ賑わっている。若者、外国人観光客、そして、ただふらふらしている誰か。

鬼滅の刃の上映が終わったのは、夜もすっかり更けた12時過ぎだった。

興奮と余韻が入り混じる頭の中、目の前にあるのは東横インの簡素で静かな部屋。けれど、眠れなかった。

どうしても街の空気を吸いたくなり、私は夜の新宿に出た。

飲食店はまだまだ賑わっている。若者、外国人観光客、そして、ただふらふらしている誰か。

そのとき、目の前をバイクが通り過ぎていった。

5人乗りのスクーターだ。前の男は完全に“族上がり”風。

後ろには刺青を見せびらかすような格好の女性たちが4人、しがみつくように座っている。

「私も乗せて!」

そう言って、また別の派手な格好の女の子が、笑いながら手を挙げて群がっていた。

それはもう、無秩序を誇るような一場面だった。

誰も彼も、ルールなんかないかのように、生きたいように生きている。

私はただその光景を見つめていた。少し前まで、劇場の中で涙を流しながら“柱”たちの死闘を見ていた自分が、今こうして、この生々しい現実の“夜の戦場”に立っていることが、不思議で仕方なかった。

もう仕事なんてしたくない。

このままずっと、ふらふらしていたい。

そう思った。いや、そう思ってしまった。

東横インのベッドに戻る気はまだ起きなかった。

ラーメン屋の灯りがやたらと温かく見えた。

あの5人乗りのバイクが、またどこかの通りで誰かを乗せて走っているかもしれない。

それをただ想像するだけで、この夜はまだ眠るには惜しいと思った。

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大日如来参上のブログへようこそ。ここでは、性の本質、結縁の道、聖地巡礼、社会の問題、舞台や映画のレビュー、そして智慧の書など、多様なテーマを通じて、内なる美と智慧を探求します。
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