出世とは自由ではない──プリゴジンに学ぶ“構造を知らぬ者”の末路

出世すれば、自由になれるのか?

多くのサラリーマンは、出世することで「自由になれる」と信じている。

役職が上がれば、裁量が増え、収入も増え、自分の言葉が組織に影響を与える──そう思っている人は少なくないだろう。

だが、その幻想はときに残酷な結末を迎える。

それはまるで、ロシアの民間軍事会社「ワグネル」を率いたエフゲニー・プリゴジンのように。

プリゴジン──“出世”を果たした男の末路

プリゴジンは元々、プーチンの「料理人」と呼ばれる実業家だった。そこからワグネルを通して準軍事的な実力を持ち、プーチン政権の影の実力者にまで上り詰めた。

だが、彼は誤った。

「私は出世した。もう対等だ。自分の意志を示していい」

──そう考えたとき、彼の運命はすでに決まっていた。

プーチンという“国家資本”の支配構造を見誤った彼は、反旗を翻し、やがて“墜落”という名の粛清を受けた。

サラリーマンも同じ構図にある

これは決して、遠い国の話ではない。

日本のサラリーマン社会でもよく似たことが起きている。

部長になった。本部長になった。

「ようやく自分も自由になれる」と思ったその瞬間、むしろより強い拘束と責任に縛られていたと気づく。

それでも歯を食いしばって役割を果たす者もいれば、

構造を変えようとしすぎて、社内政治に敗れ、左遷され、退職していく者もいる。

出世とは、さらなる剰余価値の供給者になること

サラリーマンの出世とは、「自由を得ること」ではない。

それは、「さらなる剰余価値を供給する装置になること」だ。

他人の労働を管理し、利益を最大化し、より資本家の意にかなうように動く。

それが“役職”という名の評価なのだ。

逆に、資本家の出世とは、より多くの不労所得を得ることに他ならない。

この構造を理解していないと、昇進のたびに自我と現実の乖離に苦しみ、

いつしかプリゴジンのように“自分の正義”に殉じて転落する危険すらある。

構造を知ることは、裏切られないための第一歩

「出世すれば自由になれる」

──それが幻想だと知っていれば、人生の選択はもっと冷静にできる。

  • 資本を持つ側に回るのか?
  • 労働の中に意味を見出すのか?
  • システムの内側から変えるのか?
  • 外に飛び出して創造者となるのか?

どの選択にもリスクがある。だが、構造を知らずに「自由」を目指すことは、もっとも危うい。

おわりに──出世より、“所有”か“思想”か

プリゴジンの死は、出世の果てに待っているものが「自由」ではなく「拘束」だったことを象徴している。

だからこそ、私たちは問い続けるべきだ。

「自分の“自由”とは何か」

「その自由は、他者の構造に乗っかっていないか?」

答えは簡単には出ない。

だが、見上げる役職の先に幻想しかないなら、目をそらさず、その構造を直視することから始めよう。

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この記事を書いた人

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