折田楓が、「斎藤県知事の選挙活動でSNS戦略を担当したのは私だ」と名乗り出たことで、SNS上で批判が巻き起こっています。「承認欲求の塊」との声も多く、私自身も同じように感じる部分があります。この動きが注目を集め、自身のフォロワーを増やし、さらなるキャリアのステップアップにつながると考えているのかもしれません。しかし、人間関係において信頼を損ねる行為は、炎上商法にもならないリスクが伴います。
信頼を失った先に待つもの
松本人志氏や長渕剛氏の騒動でも明らかなように、信頼を失えば、すべてが瓦解してしまいます。誰も協力を申し出ることはなくなり、次第に孤立していくでしょう。SNSの力を駆使するインフルエンサーとしての彼女には特異な才能がありますが、それを誤った形で使えば、結果的に逆効果を生むのではないでしょうか。
折田楓の「野心」とSNS戦略の功罪
彼女のInstagramを見ると、「キラキラ女子」のアピールが潔いほど際立っています。その姿は、プリンセスプリンセスの『ダイアモンド』の歌詞を思わせるような「女性の業」を映し出しています。慶應義塾大学を卒業し、起業を経て成功を手にした彼女は、若者に希望を与える存在にもなり得たはずです。しかし、今回のような行動が周囲への迷惑を考慮しないものだと受け取られると、せっかくの影響力が逆効果になってしまいます。
斎藤知事との関係を「踏み台」にして、自身のキャリアをさらなる高みに押し上げようとしているのではないか、という疑念すら生まれています。このような野心的な行動が結果的にどう評価されるかは、今後の展開にかかっているでしょう。
斎藤知事をめぐる批判と世論の行方
一方で、現在X(旧Twitter)上では、斎藤知事が折田楓を「利用するだけ利用し、都合が悪くなると切り捨てた」と非難する声も多く見受けられます。もちろん、SNSの論調が世論のすべてではありません。しかし、パワハラ疑惑やその他の不祥事に端を発したこれらの問題は、よりクリーンな日本社会を目指すための布石であると受け止める解釈も可能です。
炎上のその先にある未来
バブル崩壊後、日本の経済停滞を生んだのは既得権益の肥大化だと考える私にとって、この一連の出来事は「個人の成功」を追い求める現代の象徴にも映ります。炎上を通じて注目を集めることで、本質的な問題提起につながるのか、それとも単なる騒動で終わるのか。今後の展開を注視していきたいと思います。