先日、103歳の母方の祖母が老衰で亡くなりました。老人ホームのベッドで少しずつ食べることができなくなり、最後は静かに眠るように息を引き取りました。その数日前、祖母に会いに行く予定でしたが、直前で両親から「やめておこう」と言われました。祖母の最期を元気な姿で記憶に残しておいてほしいという両親の配慮だったのかもしれません。
葬儀は通夜なしで執り行われましたが、私は会社の会議があり欠席しました。正直、迷いに迷って一度は「行く」と決めたのですが、両親から「無理をしなくていい」と言われ、心のどこかで祖母の死を受け入れたくないという気持ちがありました。祖母からは幼い頃から深い愛情を受けてきましたが、最期の数年、会うたびに「お嫁さんは?」と繰り返し尋ねられるのが辛くてたまりませんでした。私も婚活を試みましたが、うまくいかず、祖母の期待に応えられない自分を見つけてしまったのです。そのため、葬儀に参加することで自分が抱える感情の重荷がさらに増すと感じ、参加を断念しました。
祖母の家系は日本製鉄の創業者につながるもので、経済的にも恵まれた背景があります。家族の中では、学歴社会を勝ち抜き、安定したホワイトカラーの仕事に就き、結婚して家庭を築くことが理想とされていました。リスクを取るような人は一人もおらず、その価値観は徹底されていました。しかし、私は大西洋を横断したリンドバーグのような冒険者に憧れを抱いており、それは弘法大師空海を崇拝する父の影響でもあるのです。私の母が父に惹かれたのも、このような堅実な価値観からの「逃避」だったのかもしれません。
時折、偏差値の高い学校を出て、安定した仕事に就き、家庭を持つという「普通の幸せ」に憧れる自分がいます。尾崎豊の歌にあるように、「僕はあの頃より、少し大人に憧れているだけさ」と思う瞬間もありますが、それは祖母の死を目の当たりにし、彼女の愛に応えられなかったという痛切な思いが私の心に渦巻いているからでしょう。
葬儀で祖母の遺体がまだ化粧された状態で残っていることを知らなかった私は、既に遺骨になっていると思っていたため、お経を聞くだけだから、行かなくていいだろうと考えていました。しかし、実際には遺体がそのままで、骨になる前にお別れするものだと知りませんでした。もしそれを知っていれば、祖母の最期の姿を、見送りすることができたかもしれません。
祖母が最後に伝えてくれたのは、「どうせ骨になるのだから、好きなことをして過ごせばいい」という前向きなメッセージだ捉えて、未婚のまま、私のより良いと考える人生を送っていこうと思います。