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MBA経営理論の必読書の要約を読んで考えたこと!

世界の起業家が学んでいる、世界のエリートが学んでいるという類いの経営理論を要約した本が、多く出版されている。この度、結構バズっている永井孝尚著の本を読んでみた。その中から、マネジャーの実像を図書館から借りて読んでみても、いまいちピンとこない。要約が図入りでわかりやすく、思考の軸につかえるものがいくつかあっても、実際の専門書には、細かいシチュエーションと専門用語がちりばめられているけれど、ささるものもあればささらなくて聞き流すだけのものも存在する。

細かいシチュエーションごとに、理論が正当であることを証明するために、肉付けをされている印象を受ける。もし、それが素晴らしいと感じれば、そのまま、それを用いることで、自分の経営理論を編み出せばいいだけの話になる。実際、ハーバード等の一流大学のMBAを卒業した人は、この理論をもとにどう経営に携わっているか? という問いかけの方が大切な思考になるのかもしれないと考えたりもする。

さらっとしか、まだ読んでいないが、印象的な文章が黒字で書かれていた。強いリーダーを目指すと、支持者は、フォロワーになってしまい、強いコミュニティーには、それぞれが責任感をもつパートナーシップの方が大切なわけであるということ。店長になる、部長になるという姿をイメージすると、強いリーダー像をイメージする。次々と問題を解決して、手際良く尊敬される姿、それこそがリーダーだと考え、実現のために、努力をしようとする。マネジャーの実像とは、問題から逃げてもいけないし、解決してもいけないのであり、折り合いをつけていくことなんだと諭してくれる本著は、励みにはなるけど、実に詳細に書かれているので、科学的裏付けなどいいという方には、図解要約の書籍でも十分ではないだろうか?

良書の要約とはすべて愚劣なものだと16世紀フランスの思想家モンテーニュは発言した。この当時、すぐれた要約集がなかっただけで、今では、良書の要約する書籍も、一流な要約が出ているから、十分参考にできると答えてもいいだろう。言葉を額面通り受け取るのは危険だということも正しい。同じことを書かれていても、どう解釈するかで、意味が変わってしまう。本格的な情報化社会により、どのように解釈するかで、思考にますます差がついてくる世の中になってきている。知力格差が、ますます拡大していく世界で、AIにより、IQ格差が意味をなさないという茂木健一郎の意見は外れていて、人間は、他人より幸せになりたいだけだから、少しでも高い梯子に上り、いい景色を見たいだけなのだ。

それは、SNSで人は何を誇り、承認されたいかが如実に表れているではないか。私も起業してみたいけど、どうしていいかわからないし、長く、観想生活(テオリア)に、休日は浸っていると、もう世間的な成功等、食うのに困らなければ、どうでもよくなってくる。これではいけないと考えて、私は、ここに日々、書いていくことに決めた。何をしようか?何もすることないじゃないか?という言葉が浮かんでくる。日本という国が、戦争で負けて、無くなっていくことで、国を大切にしようという心意気を失っていくことが、少子高齢化につながっているのだろうか?という疑問も湧いてくる。

マイホーム主義が、幸せにならないと理解している現代において、次なる希望を示さなければ、家族をもって、子供を産んで育てようとは、思えない人の比率は、どうしても上がってきてしまうのではないか? 私は、何をしよう。何もないし、今まで、野球やって、文学やって、スーパーの仕事をして、多くの人に携わってきたけど、年々、頭が固くなってきて、老害への一歩を歩んでいるという確かな足の感触だけが残っているというぐらいしか、日々の実感が湧かない。

経営学の本を読んで、仕事をしていると考えることは、具体的な経験が、より少しの言葉で表し、抽象的に考えられるようになると、会社で他の部署で起きている現象を予想し、仮説を立てて検証できるようになる力を得られるということはある。それを成果に結びつけるには、行動あるのみだろう。ニヒリズムの沼に陥るのなら、行動による実感に救いを求めた方が良さそうだ!

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カテゴリ
阪神タイガース・プロ野球・スポーツ