古代の遺跡には、いつも生贄の文化に触れる。現代でも、皆はおかしいと気づいていても、ほとんどの人は保守派で、変わることなく続いていく。しかし、犠牲者が出ると、ものごとが進んでいくということを、生贄なくして神は動かないことを古代人は知っていたのだ。
人はまず食べなくてはいけない。衣食住が整い、生きていく上で安定した環境にならなければ、学問はできない。ここでは、トウモロコシが生きていく上で絶対なため、王様の髪をトウモロコシにするほど、トウモロコシを人民が欲している。
トウモロコシにとりつかれた人民がおりなす政治は、いかなるものか?文明といえども、滅びる運命にあるのは、そこにおける人民の知恵、知的レベルよりも、環境によるものが大きかったのは。マヤ文明はとにかく滅びたのだ。
いつも当時の王様がつけていた装飾品を、こういう展示会ではお目見えする。今みても、きらびやかで輝いているものだ。魂の不死、永遠の輝きを生きている人間は求める。それは人間は死ぬからだ。生きることは死ぬことだ。死ぬことは生きることだ。私の生命を、もっと有益なことにつかって欲しい。神よ!私に答えておくれ。私の心の神に訴えかける。
三ノ輪駅で降りて、綺麗な女性がいた。もしかして、吉原の女性ではないか? と期待した。後をつけていくと、その働いている店がわかるのではないかと考えた。日傘の淵に、黒いフリルがついている。彼女が吉原で働いていることを確信した。
この女性は、吉原フォーシーズンNO1のあやかである。コメントでは、歴代最高峰の可愛さを誇る衝撃の女性と書かれている。なるほどなぁと思うと同時に、吉原の程度に失望する私がいる。俺は一人の修羅なのだ!