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三島由紀夫『絹と明察』 考察:堅田の浮御堂

 

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www.xn--fhq32lm4eoko24c48b.co「桟橋につく。左方の繁みから、浮御堂の瓦屋根が、その微妙な反りによって、四方へ白銀の反射を放っている。町長が桟橋へ出迎え、駒沢に慇懃な挨拶をし、大社長連へいちいち名刺を出して廻った。それが彼の引き連れた出迎えの人たちの央だから、桟橋はひどく混雑し、端のほうの人は落ちないように前の人の背中につかまっていた。

町長の先導で、一行は窄い堅田の町をとおって、浮御堂のほうへ歩きだしたが、彦根の芸者たちは、駒沢の前以てのきびしい達しのおかげで、依然として、はしゃいでいいのか、乙に澄ましていいのかわからず、一人の若い妓が、山口紡績の社長に興がられてむしょうに嬌声をあげるのを、ただ顰蹙して眺めていた。ほとんど葦におおわれた川面にかかる小橋をわたる。葦のあいだに破船が傾き、その淦が日にきらめき、橋をわたる人の黒っぽい背広や黒のお座敷着は、袂の家の烈しいカンナや葉鶏頭の赤によくうつった。」

葦におおわれた小橋というのではなく、しっかりした橋に変えられていたけれど、当時の風景を偲ばせるに足りるものだ。

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https://m.youtube.com/watch?v=USZAkIMtYoI

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夜中に雄琴ソープアムアージュの新人の女性とセックスした。外国人の旅行ガイドブックに記載されるほど有名なソープランドらしく、かなり可愛かった。f:id:nyoraikun:20210529165611j:image

このソープランドは川筋通りすぐのところにある。予約していたのだが、待合室に通される前に、入口の椅子に腰かけて待っていた。続々と女性が降りて、控室に消えていく。どの女性も中ランクより上といったところだろう。夢乃まゆりさんと対面した。美人で可愛い。口元に個性があるので、それをどう思うかで、彼女の容姿の評価は変わるであろう。

福岡に両親と生活していて、将来、エステの店を持ちたいから、お金を稼ぐために出稼ぎで、時々、このアムアージュに出勤する予定ということだ。昼の仕事もしっかりするソープ嬢は、一般女性の心を半分は残してあるから親しみ深い。マッサージもしてもらった。強めの刺激は、彼女がこれから歩むべき道をやり遂げる強い力を感じた。私の支払った70分3万1千円のうち、何割を夢乃さんが手にするのかわからない。しかし、彼女の夢に投資したようで、いいことをしたようで気持ち良かった。

彼女の好きな曲は、SEKAINOOWARI『マーメイドラプソディー』である。

https://m.youtube.com/watch?v=RmZ15G2ZuCg

 

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「竜宮城の門によそえた小さな楼門のところで、住職が一行を出迎えた。松の影に充ちたせまい庭先に、すぐ湖へ突き出た浮御堂へ渡る橋があった。

阿弥陀仏千体の半ばは、湖へむかって、暗い御堂のなかにむら立ち、そこの欄干からは、対岸の長命寺山や、遠く近江不二を眺めることができた。湖はこのくすんだ金いろの二千の目に見張られていた。

『仏教というのは妙なもんだ』と岡野は考えていた。『慈眼で見張れば、湖上の船も人も難から救われるという考えなんだ。こんな死んだ金いろの目で』

見るということは岡野にとって、本来、残酷さの一部だったが、

『遠くひろがる湖面には、

帆影に起る喜悦の波。

払暁の町はかなたに

今花ひらき明るみかける』

などという彼の好きなヘルダアリンの詩句も、この千体仏の暗い金の重圧、慈悲による、見ることによる湖の支配の前に置かれては、たちまち力を喪うように思われた。」

この後、さい銭箱の横で無表情に鉦を叩きならしている老婆が登場する。駒沢は、息子が変死して狂気に陥っている老婆の生活を面倒みてあげているけれど、感謝の気持ち一つ示さないのである。誰かが民衆の顔だと指摘するのに、駒沢は、感恩報謝の気持ちを忘れん者が、本当の民衆やと応じる場面がある。この鉦を鳴らしている姿に、天皇と訴えている三島本人の姿を、カリカチュアさせているのかもしれない。日本の心情が失われていくことは、古典からインスピレーションを受けて、文学世界を形作ってきた著者の想いが、形骸化していくことを意味するからだ。日本の有名な場所を舞台に、作品化することの多いのは、いつまでもその史跡が残っていることが、私の文学が生きている証拠であるということだろうか?

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阪神タイガース・プロ野球・スポーツ