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劇団四季『カモメに飛ぶことを教えた猫』が泣けるという評判だから、調布公演を観に行った。劇場内が混み合っていて、中になかなか入れない。劇団四季の実力は、全国津々浦々折り紙付きなのだろうかと思った。 開演して赤ちゃんの泣き声が方々からする。全席の若く綺麗なご婦人は、赤ちゃんを抱っこして宥めてを繰り返していたが、いよいよ泣き叫び出すと、立ち上がって外に出て行った。赤ちゃんに見せるには、幼すぎるから、彼女自身が観たくて来たのだろうか? 結婚すると多かれ少なかれ行動を制約されるものなのだろう。
ファミリーミュージカルというだけあって、子供を連れた家族連れが多い。男性の数は全体の3分の1ぐらいだ。ディズニーランドに1人で来たように場違いな気分だ。
卵を抱えたツバメから育てることを託された猫ゾルバが、卵から1羽の空飛ぶツバメに育て上げる話である。飛ぶようにいくら援助しても、飛び上がることができないツバメ(フォルトゥナータ)が、最後飛べるようになるには、燈台の高いところから落とすしかないことをチンパンジー(マチアス)にゾルバが教わるところの展開は素晴らしい。
マチアスは、猫を憎むネズミたちのボスとして君臨していた。ツバメを飛ぶ方法を知りたければ、尻尾を持ってこいとゾルバに言う、恐ろしいほどの敵役であるのだ。猫達が私達の尻尾をすべて切らせるから、教えろと言い募ると、その心に打たれたマチアスは、空飛ぶツバメの真実を述べる。パイロットと共に空を飛んでいた頃から落ちぶれたと思い込み、飲んだくれになっていたマチアスの心にも赤心があるのだ。
これまで、美辞麗句で飾られた芝居が続き、このまま猫達の愛に包まれて空を飛べたというオチだろうと高をくくって観ていた私は、クライマックスでツバメ(フォルトゥナータ)が大空を飛んで欲しいと心から思えた。
殻を破る大切さを伝えるミュージカルと言われているが、親子愛のあり方を問いかけてくるようにも思えた。父親が45歳の時に生まれた私は、溺愛されて育った。阪神タイガースの選手になることを期待され、高校3年生まで、試合になると球場に足を運んでくれた。大学1年で野球を辞めた時に、がっかりした父の姿を今でも覚えている。私は飛べなかった。
ライオンは子を崖の下に突き落とすという。学生の頃、教育の比喩として良く耳にした。しかし、人間が今日、地球上でここまで力を得たのは、弱と強が対になって発展してきたところにある。人間以外の動物において、弱いというのはすぐ死と結びついている。未開社会においても、動物レベルで弱くても、頭の方がいいと、まじない師になったり、医術を売りにして、バンドの価値ある一員として生きていこうとする。職業に貴賤はないという言葉から偽善を思うけれど、様々な弱と強が対になる力を発見した唯一の動物が人間だったのだ。
ミュージカルの話から脱線して申し訳ない。芝居を終えてロビーでは役者達が待って、出てくるお客と握手をしている光景があった。