映画『ドライブ・マイ・カー』感想|人は傷を抱えたまま、それでも生きていくしかない

映画『ドライブ・マイ・カー』は、評価が極端に分かれる作品だと思う。

「傑作」という人もいれば
「退屈」「眠くなる」という人もいる。

私自身、観る前は少し構えていた。

しかし実際に観てみると——
とても自分に合っている映画だと感じた。

ただし、それは決して「楽しい映画」ではない。

むしろ重い。

心の奥に沈んでくる作品だった。


目次

夫婦の愛の奥にあるもの

物語の冒頭では、主人公・家福悠介と妻・音の夫婦は、非常に仲の良い関係に見える。

会話も自然で、愛し合っているように見える。

しかしある日、家福は帰宅した自宅で、妻が別の男と性行為をしている場面に遭遇する。

観客はここで混乱する。

「なぜ?」

だが後に明かされるのは、音にはある特異な性質があったということだ。

彼女は性行為のあとに物語を語る。

そしてその物語を夫が脚本にし、成功した。

つまり二人は、創作によって結びついていた関係だった。

そしてその背景には、亡くなった娘の存在がある。

喪失。

穴。

埋められない空白。

音の行動は、その痛みと無関係ではない。


「話したいことがある」と言った夜

音は死ぬ直前、家福に

「話したいことがある」

と言う。

しかし家福はそれを避ける。

逃げる。

そして戻ったとき、妻は脳出血で倒れて亡くなっている。

この瞬間から、家福は

聞けなかった言葉

を一生背負うことになる。

この映画は、実はこの後悔の物語でもある。


車に乗る人たちは皆、傷を持っている

家福が雇う専属ドライバー・みさき。

彼女もまた深い傷を持っている。

暴力的な母。
二重人格。
そして土砂崩れの日、母を助けなかった罪悪感。

彼女は自分を「母を殺した」と感じている。

そして俳優の高槻もまた、自分を制御できない衝動を抱えている。

この映画に登場する人物は全員、

普通に見えて、深い傷を持っている。

それは観客に対する慰めでもある。

人はみんな、何かを抱えて生きている。


人間は「一貫した自分」を演じなければならない

社会の中で生きるには、

信頼できる人物像
一貫した人格

を演じる必要がある。

しかし本当の人間はそんな単純ではない。

矛盾だらけで、不条理で、統一された存在ではない。

「自分らしさ」さえ実体が曖昧だ。

この映画は、

人間とは何か

という問いを静かに突きつけてくる。


緊張させる演出の巧みさ

序盤の駐車シーン。

家福は几帳面そうなのに、少しズレて駐車する。

後に緑内障が判明し、

「ああ、そういうことか」

と観客は気づく。

この瞬間、

「この映画はちゃんと観ないといけない」

という緊張が生まれる。

非常に丁寧な演出だと思った。


音は「狂い」を演じていたのかもしれない

これは個人的な解釈だが、

音は「語りを忘れているふり」をしていた可能性がある。

つまり——

創作を共有する関係を維持するために。

もしそうだとしたら、

彼女は狂っていたのではなく、

狂いを演じていた。

これはとても悲しい。

人は関係をつなぎ止めるために、

狂気や病さえ共有しようとすることがある。

共依存は珍しいものではない。


この映画の本質は「不条理のあと」

人生には、

「あの出来事があったから今がある」

と綺麗に意味づけできないことがある。

むしろ、

「あの出来事は起きない方が良かった」

としか思えないこともある。

そして一度起きた出来事は、元には戻らない。

それでも生きていくしかない。

この映画は、

不条理のあとにどう生きるか

を描いている。

だからこそ、

「ちゃんと恨んでいい」

というメッセージさえ感じる。

綺麗に意味づけしなくていい。

苦しみは苦しみのままでいい。

その苦しみを言葉にして分かち合えることが、人間の希望なのだと思う。


ラストの意味|人は前に進める

ラストで、みさきは韓国で車を運転している。

犬と新しい生活。

頬の傷は消えている。

過去を背負ったままでも、

人は前に進める。

車を運転するように、

人生も進める。

それがこの映画の静かな希望なのだと思う。


観終わって思ったこと

正直に言うと、観終わったあと少し沈んだ。

自分自身も仕事の疲れや将来への不安を抱えている時期だったからだ。

もっと心に余裕がある時に観たら、違う感想になったかもしれない。

でも同時に、

言葉が胸の奥に響く映画だった。

下腹の音のように。

静かに。

深く。


まとめ

『ドライブ・マイ・カー』は、

娯楽映画ではない。

癒やし映画でもない。

これは、

人間が傷を抱えたまま生きていく物語

だ。

そしてそのどうしようもなさの中に、

小さな希望がある。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

大日如来参上のブログへようこそ。ここでは、性の本質、結縁の道、聖地巡礼、社会の問題、舞台や映画のレビュー、そして智慧の書など、多様なテーマを通じて、内なる美と智慧を探求します。
私は、衆生の心の美を見つめ、その内なる光を見出す手助けをしています。
このブログの目的は、読者の皆様が日常生活の中で智慧と平和を見つけ、心と体を鍛え、人生の本質に近づくための情報とインスピレーションを提供することです。
大日如来の教えを通じて、皆様の人生がより豊かで意味深いものとなりますように。

コメント

コメントする

目次