

沖縄の夜は、どこか湿っている。
ネオンが滲み、海の匂いが混じり、人の歴史まで漂っているような気がする。
『映像の世紀バタフライエフェクト 戦後沖縄 愛と悲しみの女性たち』を見終えたあと、私はしばらく言葉を失った。
この番組は、戦後アメリカ統治下の沖縄で生きた女性たちに焦点を当てていた。
そこにあったのは、単純な「被害」の物語ではなかった。
もっと複雑で、もっと人間的で、そして残酷なのに、なぜか温度のある人生だった。
占領と暴力
米軍が入ってきた直後、逃げ遅れた女性たちはレイプされ、蹂躙された。
証言は淡々としているのに、胸が締めつけられる。
戦争は、まず女性の身体から壊していく。
それが現実だった。
だが沖縄に駐留していた海兵隊もまた、明日死ぬかもしれない前線兵士たちだった。
ベトナムに送られ、生きて帰れる保証のない若者たち。
貧困、奨学金、家族のため。
そんな理由で軍に入った少年の延長線のような人間たち。
もちろん、だからといって暴力が許されるはずはない。
だが「怪物」ではなく「追い詰められた人間」だったことも事実なのだと思う。
この複雑さが、沖縄の歴史を単純な善悪にできなくしている。
売春と、生活と、愛
生活のために身体を売る女性たちがいた。
家族を養うため。
弟妹の学費のため。
生き延びるため。
それは「堕落」ではなく、ほとんど労働だった。
そして不思議なことに、そこから愛が生まれる。
一夜の関係のはずが、家族のようになり、
子どもが生まれ、
未来を夢見る。
約2割は本当に結婚し、アメリカへ渡ったという。
だが8割は、ある日突然、男がベトナムへ送られ、消息が途絶える。
帰ってこない。
ただ、それだけ。
団地のコンクリートの部屋で
「いつかお父さん帰ってくるといいね」
そう言いながら暮らす家族の姿が、静かに映る。
戦争は、こういう「待ち続ける時間」を大量に生む。
これが一番残酷かもしれない。
喜久山里美さんの物語
番組の中心にいたのが、ロックシンガー・喜久山里美さん。
米兵と母の間に生まれた子ども。
ベトナムに渡った父から届いた手紙。
「君に会いたい」
「君は私に似て頑固だ」
彼女はその言葉を信じ、父の愛を信じて生きてきた。
だが、母は最期まで真実を語らなかった。
もしかしたら父には別の家族がいたのかもしれない。
帰れない事情があったのかもしれない。
あるいは、もう亡くなっていたのかもしれない。
真実は闇の中だ。
でも私は思った。
母はきっと、娘の「物語」を守ったのだと。
真実よりも、
「愛されて生まれてきた」という物語のほうが、
人を生かすことがある。
人間は、事実だけでは立っていられない。
物語で、生きている。
真実より、物語
番組の終わり方は曖昧だった。
はっきり答えを出さない。
少し物足りなさもあった。
三島由紀夫なら「結論まで書け」と言うだろうし、
太宰も尻切れトンボを嫌った。
けれど、考えてみれば、人生自体が尻切れトンボだ。
真実はいつも途中で途絶える。
だから人は、自分なりの物語を紡ぐ。
沖縄の女性たちもそうだった。
暴力の中で、
貧困の中で、
差別の中で、
それでも「愛」を作ろうとした。
それは、人間の底力のように見えた。
どんな場所でも、愛を生み出してしまう女性の強さ。
私はそこに、絶望よりも希望を見た。
だから、私は書く
見終えたあと、ふと思った。
自分がブログを書き続けている理由も、きっと同じだ。
真実を暴くためじゃない。
人が生きるための「物語」を残したいからだ。
世界は残酷だ。
だが、物語がある限り、人は立ち上がれる。
沖縄の夜に灯るネオンのように。
消えそうで、でも確かに、光っている。

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