
吉原で遊ぼうとすると、いつも途方に暮れる。
店が多すぎるのだ。しかも、どの店も「うちは特別だ」と声高に主張してくる。情報が多すぎて、かえって選べなくなる。
その夜は東京スカイツリーの夜景を見に来ていた。
どうせ浅草まで来たのなら、吉原もきちんと味わいたい。けれど、どこに行くべきか決めきれず、スマホを握ったまま長い時間を過ごしてしまった。
私は昔から、こういう「考えすぎる時間」に消耗する。
半ば冗談でChatGPTに聞いてみた。
「今の気分なら、サブマリンが合うのでは?」
返ってきた答えは、妙に腑に落ちた。
吉原の頂点は将軍、総額29万円という別格の存在。
その次に位置するのがサブマリン、120分で8万9千円。
これまで通ってきたルピナスやピカソ、ルーブルは8万円台。
たった9千円の差。
それなのに、その9千円が妙に大きく感じられる自分がいる。
「行きはタクシーやめて、帰りだけにしようかな」
そんな小市民的な計算まで始めてしまうのだから、我ながら可笑しい。
店の待合室はわずか6席。
しかも客は私ひとりだった。
「真ん中へどうぞ」
店員がさっとおしぼりを差し出す。
トイレから戻ると、また自然な所作で手渡してくる。
その動きが洗練されていて、まるで高級ホテルのラウンジのようだった。
ほんの少し、身分が上がった気分になる。
気持ちが整った頃、ナンバー1の橘さんが現れた。
廊下の先に、ただ一人、静かに立っている。
余計な演出はない。
「紅一点」という言葉がふと浮かぶ。
店が誇っているのは設備でも装飾でもなく、
“人そのもの”なのだと、ひと目で伝わってくる。
細身で均整のとれた体。
顔立ちは広末涼子の透明感に、壇蜜の色気を少し混ぜたような、不思議な存在感。
背中を向けて階段を上る姿のシルエットだけで、美しいとわかる。
ところが、部屋に入ると印象は一変した。
気取った雰囲気は消え、会話がとても軽やかだ。
松尾芭蕉の言う「軽み」とは、こういうことかもしれない。
構えがない。
自然体。
だから心がすっと緩む。
まるで昔から知っている人と話しているようで、
私はプレイが始まる前から「今日は来てよかったな」と思っていた。
話を聞くと、この仕事の経験は長い。
けれど“慣れ”の匂いがない。
初対面の相手に向き合う初々しさが、きちんと残っている。
この世界は結局、エロティックさ以上に、
「人としての基本」がリピートを生むのだろう。
彼女は言った。
「高級店と超高級店の2万円差って、正直よくわからないんですよ。でも、その答えを探しながら働いてます」
その言葉が妙に印象に残った。
私は考えた。
たぶん、その差は小さな“気遣いの総量”なのだ。
黒いコンドーム、ガーター、
紫のバスブロックを目の前で割って広がる湯気。
巻き髪の理由をさらりと語る演出。
どれも些細だが、確実に心をくすぐる。
その積み重ねが、価格の差になる。
仕事を「作業」ではなく「表現」として捉えている人なのだと思った。
ふと俯いた横顔が、古い浮世絵の美人画のように見えた。
もし雪国の娘が昔の吉原に売られてきたら、
きっとこんな姿で描かれたのではないか。
そんな空想まで浮かぶ。
長く通ってきた私でも、
こんな感慨を抱いたのは初めてだった。
店を出たあと、自然と浅草寺に足が向いた。
長い庶民の祈りが積み重なった場所で、
今日の出会いを静かに反芻する。
さっきまで広末涼子のようだった彼女は、
帰り際には韓流アイドルのような雰囲気に変わっていた。
昼と夜のあいだ、黄昏にだけ現れる幻のような人。
あれは現実だったのか、夢だったのか。
外国人で賑わう境内を歩きながら、
私は不思議と満たされた気持ちで帰路についた。











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