本田望結さんが、何故、抜けるかについて小川晶市長を絡めての考察

こんなに下世話なことを書こうという気になるのも、私のブログで、繰り返し読まれているのは、風俗のブログが多数派であり、それを利用しながらの葛藤やジレンマをテーマに書いてあるものが多い。利用する上で、多額のお金を必要とするのに、入るべきか否かを考えているお客さんが、それを参考にしようと繰り返し読んでくれているのだろう。

この度、趣向を変えて、四十路で独身の私が、いつも風俗を利用して抜いているのではなく、ほとんどは、手コキで抜くことになる。そして、乳首をコリコリと指の爪でかきながら抜くことになる。そして、このたび、女優の本田望結さんが今晩、写真や動画を眺めていて、異様に興奮したことから、ここに書いてみようと思うことにした。

前置きが長くなったのも、単純に、これで興奮したという言葉を列挙するのは、たしなみがなく、でも、そこには、私の本能に直結する何かがあるはずだ。私が小学生時代に、非常な恋心を持った女性が1人いるけれど、彼女も、童顔で、女性姉妹の中で育ちが良く、胸が大きかった。そして、いまだに、私が寂しくなると、当時の思い出がよぎるほど、私にとっての女性像というものは、その頃から確立していたように思える。

もし、結婚をしていて、子供もいて、幸せな結婚生活を送っていたとしても、目の前に、そのような本能がうずくほどの好みの女性が現れて、私に好意を示してくれたら、前橋市の小川晶市長のように、欲の赴くままに、行動していたとも言えなくはないのだ。市長の場合は、市政に対するプレッシャーからくるストレスの緩和や、心身のバランスを保とうとする行動によるところが大きいというのはわかるけれど、本能の働きを前にすると、元弁護士の小川晶ほどをもってしても、統御できないものだとうなずける。

中央大学法学部時代の小川晶市長↓

話は大分逸れたが、以下が、私の今晩のおかずとさせていただこう。童顔で、たしなみもしっかりしている育ちの良い女性が、胸が大きくて、性的なことを誘惑していること。そのものが、なんともいえないエロスを醸しだしているではないか? そういえば、ルネッサンスによって描かれた婦人像は、皆、こういう意匠ではなかったか? 

このエロスの雰囲気を超えるには、AIは、まだ時間がかかりそうだ。

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この記事を書いた人

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