SNSが流行して久しいが、私はできるだけその波に乗らないようにしてきた。キラキラと飾り立てた投稿を見て、そこに対抗する気力もなく、他人の「映える」虚像を楽しむ余裕もなかったからだ。本当の友人関係でさえ、等身大の自分でいられる安心感がなければ長続きしない。むしろ、無理に輝いて見せることは、人を疲弊させるだけだ。
そんな中、フランス発のSNSアプリ「BeReal.(ビーリアル)」が注目を集めている。このアプリは、これまでのSNS文化に一石を投じる存在だ。ユーザーに求められるのは、毎日一度、ランダムな時間に通知を受けて写真を撮ること。その瞬間を切り取ることが目的で、フィルターも加工も不要だ。そして写真は翌日には消え、後に残らない。これが「BeReal.」の醍醐味だ。
リアルの共有、それはSNSの進化か?
「BeReal.」は、作り込んだ自分ではなく、飾らない「リアルな日常」をシェアするという点で、SNSの新たな可能性を示している。虚飾を排し、その瞬間の自分をさらけ出すことで、深い人間関係を築くきっかけを提供しているのだ。
とはいえ、これに対する私の気持ちは複雑だ。本当に大切な友情には、時には相手の幻想を壊さない努力も必要だと思う。SNSを通じてどれだけ「リアル」を伝えられたとしても、実際に会って話すことで得られるつながりには、普遍的な価値がある。それを感じさせてくれるのが、ドストエフスキーの『地下室の手記』に描かれるような、人間の深層の部分だ。
「BeReal.」が提案するのは、SNSでのつながりの新しい形だ。それは、これまでのように「いかに見せるか」ではなく、「いかに本当の自分をさらけ出すか」を問うものだろう。しかし、その「リアル」すらも、どこか作為的な要素が含まれてしまう可能性は否めない。リアルを求めるほど、そこに矛盾が生じるのではないか――そんな疑念も湧いてくる。
SNSの未来と私たちに求められるもの
それでも、「BeReal.」の登場が示すのは、SNSがただの自己表現の場を超えて、人々が「深いつながり」を求める場になりつつあるという現象だ。世界中のZ世代に支持されるのも納得できる。多くの若者が「無理しない投稿が楽しい」「リアルな友達とつながれる」という声を挙げている。
だが、この流れは私たちに新たな課題も投げかけている。「リアル」を共有することで得られる一体感に甘んじるのではなく、その先にある人間関係の本質に目を向ける必要があるのではないか。SNSがどれだけ進化しても、最終的に重要なのは「会って話す」こと、そしてお互いの深層を理解し合おうとする姿勢だと思う。
私たちがSNSをどう使いこなし、どのように人とつながっていくか。その答えは、単なる流行に振り回されるのではなく、私たち自身の中にある「人間のリアル」をいかに掘り下げられるかにかかっているのかもしれない。