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『パスト・ライブズ/再会』感想・解説:ノラとヘソンが紡ぐ取り戻せない記憶と縁(イニョン)の物語


幼い頃、人は当たり前のように互いの存在を受け入れ、同じ空間を共有する。その静かで小さな世界は、校庭の片隅、親がお膳立てしてくれた遊び場、公園のブランコのような何気ない場面で成り立っている。そこには特別な言葉や派手な演出は存在しない。ただ、まだ名前を持たない感情が、二人の間に流れている。私が小学生の時に好きだった大和田知里さんは、そんな存在だった。クラスという小宇宙の中、「学校の中ならこの人」という素朴な選び方で浮かぶ意識に、一種の懐かしい震えがあった。その思いは、まるで映画『パスト・ライブズ/再会』(Past Lives)で描かれるノラとヘソンの初期の関係を思い起こさせる。

この映画が特別なのは、「理想と現実」「選ばれた人生と選ばれなかった人生」の交錯を、穏やかな語り口で紡ぎ出す点にある。韓国で生まれ育ち、アメリカへ渡り名前を変え、自らの「アメリカンドリーム」を掴もうとするノラ。その一方で韓国に留まり、どこか凝り固まった価値観のなかで生きるヘソン。二人が幼い頃に一度だけ持っていた「同じ目線」の世界は、国境と時間の流れによって静かにずれていく。そして、Skype越しの会話、キーボードに指を走らせ取り戻すハングル文字、そのか細い繋がりさえも、人生の不可逆性によって徐々に脆くなっていく。この作品は、人と人との出会いと別れが、文化的背景や移民経験、そして自己実現の欲求など様々な要素に左右されてしまう「ままならなさ」を、驚くほど繊細に映し出している。

私がこの映画に惹かれるのは、その「再会」が必ずしもドラマチックな美談として描かれていない点だ。幼少期を共にした二人が、時を経て別々の人生を歩み、再び同じ場所に立つとき、そこには必ずしも「報われる恋」や「二人で築く新しい物語」は用意されていない。むしろ、再会によって明確になるのは、二人が辿ってきた人生の距離感や、もう戻れない時間の残酷さだ。韓国とアメリカ、二つの世界を背景にしたこのズレは、私自身が抱えている郷愁や喪失感にも通じる。昨日見た夢では、小学生時代に想いを寄せていた大和田知里さんと同じ職場で、神奈川の店舗でパートのチェッカーをしている彼女に偶然再会する場面があった。もちろん、それは夢の中のこと。現実には、彼女は結婚して家庭を築いているらしく、写真の中には彼女に似た子どもの顔が映っていた。こうして「もう触れられない過去」を、夢という儚い舞台で何度も再演しながら、私は不可能になってしまった「もしも」を見つめ続けている。

『パスト・ライブズ/再会』は、そんな「もしも」を映し出す鏡のようだ。ノラとヘソンは、長い時を経てニューヨークで再会する。そこで漂う空気は、観光名所めぐりという表面的な行為によって、二人の根本的なズレを逆説的に浮かび上がらせる。ヘソンはあくまでも「他者」として異国を歩くしかなく、ノラの築いた世界に足を踏み入れながらも、そこに自分の人生を溶かし込むことはできない。その光景は、一方的な片想いを抱える私の心象風景にも似ている。かつて同じ教室で過ごした彼女は、もうまるで違う場所にいる。私はただ、その「もう戻れない位置」から眺めるしかない。

物語の終盤、ノラとヘソンは、韓国語という、かつて共有していた「親密な領域」へと最後に身を投じる。しかし、それは同時に、彼らが「今世」というステージで共有できる物語の終着点でもある。インヨン(縁)の考え方は、この作品に東洋的な精神をもたらすと同時に、「来世」へと続く余白を残している。前世、今世、来世——その連なりは、人生が一度きりでありながら、もしも違う人生があったならと願う人間の想像力を刺激する。彼らが別れてタクシーに乗り込むシーンは、幼い頃の思い出がフラッシュバックし、観客は、二度と戻らない時間の流れを痛感する。ちょうど私が、かつて憧れた女性が今や遙か遠く、他者となってしまった風景を、夢から醒めた後の朝にひとり噛み締めるように。

この映画は、観客をして、自分自身の「取り返せない人生」を見つめさせる。ロスジェネ世代の男性の3分の1が未婚、韓国でも深刻な社会問題として報道される婚姻率の低下、YouTubeで咀嚼音を聞かせる風変わりな流行など、現代的な要素もこの作品には散りばめられている。その細かいディテールは、ただ観る者の記憶に刻まれ、何気ない石造オブジェや町角で通り過ぎるカップルたちが、無数の「別の可能性」を我々の目の前に提示する。そして私たちは、見終わった後、もう「見る前の自分」に戻ることができないという事実に気づく。映画とは時間芸術であるがゆえに、そこで描かれる「過ぎ去った時間」を共有してしまった以上、その経験は観客自身の人生の一部に静かに染み込む。

そう、私は昨日、夢の中でかつて想いを寄せた女性と再会していた。その夢が醸し出す甘い残響は、『パスト・ライブズ/再会』を観た後の、どうにもならない切なさと不思議な共鳴を起こしている。もう戻れない二人の時間、すれ違う人生の連なり、そして取り戻せない場所。私たちが選ばなかった無数の可能性は、今この瞬間も、心の片隅で眠り続け、たまに夢の形をとって現れる。そして目覚めた時、私はただ静かに涙が込み上げるのを感じる。この映画は、その眼差しを、人生に刻まれる小さな引っかかりや喪失感に向けることで、観る者の胸に穏やかな痛みと美しさを同時に残すのだ。

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