職場に一人、ストレスに非常に弱いパートがいる。彼女は、ちょっとしたプレッシャーやストレスを隠すことなく表に出すタイプで、その反応が周囲に与える影響は計り知れない。無視や嫌な顔、苛立ちを直接的に表現することもあり、職場の雰囲気を一気に悪化させてしまうのだ。
人が職場に来るのは、労働の対価として賃金を得るためであり、少なからずストレスが伴うことを覚悟している。しかし、彼女のように過剰に反応する人がいると、その空気は周囲の癪に障り、不満が積もりやすくなる。
チーフとしての苦悩と板挟みの日々
私は鮮魚部門のチーフを務めているが、彼女に関して上長から驚くべき話を受けた。「彼女を専属のリーダーに据えてほしい」というのだ。掛け持ちで他部門にいるからこそ何とか周囲も受け入れられていたが、専属になれば話は別だ。毎日顔を合わせることで、他の従業員のストレスも溜まりやすくなるだろう。
「ストレスに過敏な人は職場に適応しづらい」――この事実は否定できない。少しのことで苛立ち、人に当たり、無視をしたり変顔を見せたりする姿は、共同作業の場では苛立ちの種になる。それが先天的な要素であろうとも、職場では「うざい」という感情を引き起こしてしまうのだ。
太宰治の言葉に重ねる日常の苦悩
太宰治の小説にはこうある。「自分は辛いと訴えたが、誰も信じなかった。みんな自分が苦しいと思っているのだから」。彼女がどれだけ「辛い」と訴えたところで、周囲は「みんなそれくらい耐えて働いている」と冷たく見てしまう。職場は共感だけでは回らない。それが現実だ。
異動か、亡命か
年末年始の商戦を前に、私の悩みは深まるばかりだ。この状況を例えるなら、「昼間に花火を打ち上げろ」と命じられたようなプレッシャーだ。実現不可能なことを笑顔で求められる苦痛。それを引き受けざるを得ない自分に疲弊している。年末商戦が終わったら、異動という「亡命」を切に願うばかりだ。
現場にしわ寄せが来るのはいつの時代も同じ
会社が他社に吸収され、コスト管理が厳しくなった背景も理解できる。しかし、トップの判断によるしわ寄せが現場に降り注ぐ構図は、昔も今も変わらない。私たち現場の人間が苦しみながらその荷物を背負い続けるのが、社会の仕組みだと諦めざるを得ないのだろうか。
この状況を打開するために、職場で何ができるのか。年末商戦に向けて、答えを見つけなければならない――そんなプレッシャーに押しつぶされそうな日々が続いている。