小学校の女性教諭が、32歳の時に、小6の男子生徒に対して、性加害をしたことがニュースになっている。今から20年も前のことなのに、事実確認が済んだ段階で、懲戒解雇ということになった。時効がないというのは恐ろしいことだ。それだけ社会的責任のある仕事だともいえる。男子生徒の陰部を口にしたり、射精をさせようとしたり、実際、教諭の自宅で性交を試みたりもしたそうだ。
私も小学校3年生の頃に、当時30代後半の女性教諭が、忘れものをした生徒に、その数量分のキスをするということをしていた。男女逆ならマズイ事例である。しかし、私は、嬉しくて、わざと忘れ物をしたものだ。それがばれてしまい、その取り組みが中止になったことがある。歳の差などはあまり考えていなかった。しかし、性的魅力があったのは確かである。その男子生徒も、やはり当該の女性教諭に魅力を感じていたのであれば、嫌がらなかったのだろうと、なんとなく思う。
私には、女性が少年期に異性から性加害を受けるのとは違った内容として、大人になってそのトラウマが現れてくるのではないかと思う。それは、性的志向というものが、過去の事実に固着して逃れられなくなるというものだ。
その性加害を受けたとされる少年は、現在32歳であり、かつて、教室で、精液が出ないオルガスムを経験したのだろうと思う。その快感が強すぎて、そのことを求めるあまり、その内容があるマニアックなAV等を集めたりしても、満たされず、悶々とした日々を過ごすうちに、人生にとって大切なことに手がつかなくなることや、ふとした時によぎる過去の記憶が消えずに、一区切りをつける必要があると苛まれ、訴えたというのが、本筋ではないかと思えるのだ。
男子たるもの、大人の女性が自分に性として魅力を感じたということは、誇らしいことで、嬉しいことである場合が多い。しかし、その時に快感を得た経験が、忘れられず、同年代の女性と付き合えなくなって、どうしても、楽しめないということで、異性関係で苦労した20代だったのかもしれない。
私が、小学校5年生の始業式に、大和田知里さんという女子の同級生の家に、帰りがけに寄ったことがあった。寂しそうにしているのを見かけて声をかけたのが始まりだった。前の学年で同級生だった男子1人も呼んで、一緒に彼女の家に行った。母親が目を大きくして私達を見ていた。ベッドに腰かけて、知里さんは、1枚1枚、写真なり絵なりを見せてきた。私は綺麗だよねと興奮して、隣の同級生に話しかけたのを覚えている。そのたびに、彼女は、より喜んで、その綺麗な写真を見せてきたのだった。
母親は、背中を見せて座っていて、「知里、もうご飯よ」と話しかけてきた。私はその声を合図に、彼女の自宅を後にしたのである。私は彼女に恋をした。また会いたいと思った。でも、それから彼女に何度も行きたいと言っても、うなずいてくれなかった。あの母親のせいだと直感したのである。それがトラウマになっていたのだろう。私は、30歳になった頃、知里さんの携帯番号を、探偵で調べて、しつこく連絡をした。メールを2年に渡って送り続けたことがある。それほど、少年期の性的体験というのは、男子の一生を左右する問題であり、私は、女性教諭の性加害を受けた少年、告発した、現在32歳の青年の、正直な考えを聞いてみたいものだ。