nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

43歳、孤独と希望の間で振り返る私の人生


実際の年齢を忘れることが増えました。スマホで調べると、自分が43歳になったことに気づき、少し驚きました。かつて年齢を重ねるたびに抱いていた期待や希望は、今では薄れてしまっています。結婚相手もおらず、生い立ちの影響から本当の友人関係を築くことも難しいと感じています。孤独に慣れすぎた私は、スマホをいじりながら、このブログに自分の気持ちを綴ることで日々の空虚さを埋めています。

団地で育った少年時代
私が生まれ育ったのは東京都多摩市の落合団地、いわゆるニュータウンです。団地の狭い部屋で、7歳上の兄、両親とともに暮らしていました。母が35歳、父が45歳のときに生まれた私は、「宇宙の根源を治めてほしい」という願いを込めて大日如来から名前をつけられたそうです。

父は広島の農家の末っ子として生まれ、弘法大師空海に憧れて高野山大学に通いました。丁稚奉公をしながら大学で学んだ父の話は、子どもながらに「すごい」と感じるものでした。ただ、自分と父とのギャップに戸惑い、友達との間にもどこか感覚の違いを感じることが多かったです。

イタズラと心に残るおばさんの優しさ
小学校の通学路には小さな橋がありました。ある日、その橋の下に隠れて通る車に石を投げるイタズラをしていました。無邪気な遊びのつもりでしたが、石が車の窓に当たり、ひびが入ってしまったのです。車から出てきたのは明るい笑顔のおばさんでした。「お家に案内してくれる?」と優しく言われ、恐る恐る家まで案内しました。

事情を知った母も、そのおばさんも怒ることなく、「もうしないでね」と優しく言葉をかけてくれました。その出来事は今でも心に残っています。それ以降、同じようなイタズラをすることはなくなりました。あのおばさんの優しさに救われたのだと思います。

野球との出会い、そして努力の喜び
野球との出会いは、近所の友達とカラーバットで遊んでいたのがきっかけでした。ある日、友達が地域の「レッドファイヤーズ」という野球チームに入り、急に上達したのを見て、私も入りたいと母にお願いしました。初めて練習に参加した日の緊張感は今でも覚えています。体操をして、キャッチボールをして、練習試合では代打として出場しました。そのとき放ったヒットでチームはサヨナラ勝ちを収め、仲間たちが駆け寄ってきた瞬間は忘れられません。

それからは毎週土日の練習や試合に参加しました。時には休みたいと思うこともありましたが、兄の「継続することが一番大切だ」という言葉を胸に、通い続けました。父とピッチング練習を重ねた成果が実り、ある日コーチから「投げてみろ」と言われて初めて投手を任されました。その試合で完封勝利を収めたことが、自信につながりました。

過去が形作る今の私
43歳になった今、あの頃の出来事が実際にあったのか、時折夢のように感じることがあります。それでも、あの日々が確かに私を形作り、今の私を支えていることは間違いありません。孤独な夜も、過去の自分と対話することで心が軽くなることがあります。

未来がどんなものになるかはわかりませんが、過去の自分を受け入れながら一歩ずつ進んでいきたいと思います。このブログが、同じような孤独や悩みを抱える誰かの心に少しでも触れられれば幸いです。

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