22年前、私も高校球児としてグラウンドに立っていた頃から、星稜高校は全国に名を轟かせる強豪校でした。そして今も、その名は揺るぎなく、数々の伝説を紡ぎ続けています。
先日、私は星稜高校の野球部グラウンドを訪れました。まず目に飛び込んできたのは、その広々とした整備されたフィールド。その完璧に整った芝生と、無駄のない美しさには、毎日丹念に手入れをしている様子がうかがえました。まさに、そこには「強豪校の魂」が根付いているのです。
グラウンドには、今もなお新しい歴史が生まれようとしている。選手たちが一糸乱れぬ動きで練習に励み、響き渡る掛け声が清々しい空気を切り裂くように広がります。私が特に心を打たれたのは、練習メニューの効率の良さでした。各自が自分の課題に集中しつつも、全体の調和が保たれており、そこには「全員野球」という信念がありました。
星稜高校が全国屈指の強豪校である理由は、過去の栄光に頼ることなく、今なお変わらぬ情熱と努力が支えています。その象徴とも言えるのが、1979年夏の甲子園での箕島高校との死闘です。延長18回の激戦を制したあの試合は、高校野球の歴史に刻まれた最高の試合の一つとされています。【リンク】箕島戦の感動シーンはこちら
そして、忘れられないのが1992年の夏、松井秀喜選手が甲子園で5打席連続敬遠されたあのシーン。相手が警戒するほどの圧倒的な存在感を放っていた松井選手は、今でも星稜の誇りです。【リンク】松井秀喜の5敬遠はこちら
石川県で生まれ育った少年が「甲子園を目指す」と決めた時、星稜に入るという選択は自然な流れでしょう。そして、金沢市の盛り場といえば香林坊ぐらいしかなく、星稜高校の周囲はのどかな田園風景が広がるばかり。東京のように誘惑が多いわけではなく、練習に集中するには最適な環境です。
飲食店や娯楽施設がほとんどない場所だからこそ、「夢を追い求めるためにストイックに努力できる環境がある」――それが、星稜高校の強さの秘訣と言えるでしょう。グラウンドで見たあの情熱と規律は、ただの努力だけではなく、静かに燃え続ける夢を追いかける若者たちの姿そのものだったのです。
星稜高校は、これからも新しい伝説を作り続けることでしょう。