昨日、2024年9月8日(日)午後2時35分、祖母が103歳で亡くなりました。老衰だそうです。今年の6月にお会いしたときは、両親や私のことをなかなか思い出してくれなかったのですが、最後には、「いい人、見つかったの?」と微笑みながら尋ねてくれました。その瞬間が、昨日のことのように鮮明に心に残っています。
今回の別れは、胸が詰まるような思いでした。祖母の愛情が痛いほど伝わってきたのに、何も恩返しができなかった気がしてなりません。ただ、そんなことを祖母は求めていなかったことも理解しています。幼い頃に訪れた祖母の家は、一軒家で庭もあり、お年玉もたくさんもらって、大人になったらこんな生活が待っているのだろうと思っていました。しかし、それは違いました。曾祖父は日本製鉄の創業に関わり、祖父も東大卒で日本製鉄の役員を務めていたので、あのような立派な生活があったのだと、今になってわかります。
スーパーマーケットの一社員である私は、次第に祖母にまつわる親族との付き合いを避けるようになりました。離れていれば関係ないと思っていました。しかし、私もまた祖母の家系の一部であり、母が私を産んだのです。正月には従兄妹たちと祖母の家で遊び、階段を段ボールで滑り降りるのが楽しかった。私が一番年下で、いつもみんなのすることを見ているだけだった。
振り返ると、もっと納得のいく人生を送るために、どんな選択をすればよかったのかと考えることがあります。しかし、今の私には後悔はありません。すべてが「ガチャ」の連続だとわかるからです。親ガチャ、兄弟ガチャ、地元ガチャ、同級生ガチャ、先生ガチャ――挙げればきりがありません。
叔父からの連絡を受け、両親はすぐに老人ホームへ駆けつけました。ベッドに横たわり、薄目を開けている祖母を見て、両親は思わず涙を流してしまったそうです。まだ起きてきそうな感じがしたのに、手を触れると氷のように冷たかったと言います。数か月前に最後に会ったときは、しっかりと握手をして別れました。握る手は力強く、まだまだ元気に生きていけると信じていました。でも、老衰とはそういうもので、次第に食べることができなくなり、眠るように亡くなっていったのです。何も苦しまずに、意識が少しずつ遠のくように、静かに。多くの人から見れば、幸せな103年の生涯だったでしょうし、本人がどう思っていたかはわかりませんが、私がどれだけ悲しんでも、それは十分すぎるほどの大往生でした。それでもやはり悲しい。ひとつの愛をまた失った気がします。
両親はどれくらい長生きするのでしょうか。最近、「お別れの準備」という言葉が頭をよぎることが増えました。40年以上も両親と一つ屋根の下で暮らしてきたのです。だから、どちらか一方でも亡くなったら、私は私でなく、別の誰かになるのかもしれません。
それよりも、私はもう人として生きていくことをやめたい気がしています。すべての動物の中で、人生ほど残酷なものはありません。自分がこれほどちっぽけで、何もできない存在だということを、知ってしまうのだから……