明日の七夕の夜、これから4年間の東京都知事が決まります。正直なところ、候補者たちの言葉には疑念を抱かざるを得ません。口先だけの公約や、政治的な駆け引きが見え隠れする中で、果たして都知事がしっかりと職務を果たせるのか疑問です。特に石丸伸二が知事に選ばれたとしても、都議会には小池知事の影響を受けた議員や自民党の後ろ盾があり、彼の手腕が発揮されるのか心配です。政治家の一掃を謳うのは簡単ですが、本当にそれを実現する意志があるのなら、もっと有効な手段があるのではないでしょうか。純情さを売りにして有権者の支持を得るほど、日本は甘くありません。
前回の都知事選で第5位となった桜井誠という男がいます。彼のヘイトスピーチは耳を疑うものでしたが、その民族団結を訴える言葉には、人間の本能に訴えかける説得力があったのでしょう。初めて彼を見たのは、京王線南大沢駅前での街宣活動でした。コロナウイルスを「中国ウイルス」と連呼し、反対の声が上がると、その一人に対して激しく怒鳴りつける姿は、まさに現代の日本で信じられないものでした。
ヒトラーが民族の団結を訴えて大衆を熱狂させたように、ナショナリズムは本能に心地よく響くものです。私自身、風俗嬢への感情について考えたことがありますが、本能が理性を凌駕する力を持っていると感じました。もし国民の生活がさらに苦しくなり、明日の生活もままならなくなったら、多くの人々が何でもやるでしょう。生き延びるためには手段を選ばないのが現実です。
桜井誠の言説には賛同できませんが、彼が言葉に責任を持ち、身体を張っている点では一理あります。彼は在日特権を感じながら貧しい生活を送り、その矛盾を身をもって体験してきました。多様な意見があっても、多様な力を活かす仕組みを都知事が築けなければ、都や国の発展、ひいては社会の発展も望めません。
最近、中国が日本の排他的経済水域にブイを設置したというニュースが入りました。これは許し難い行為です。七夕の夜には、日本がエリザベス朝時代のイギリスのように、国外では剣の猛威を振るい、国内では文化的創造力が溢れる国になることを祈りましょう。
この記事は都知事選に対する懸念と、日本の未来への願いを表現したものです。政治的な現状や社会の課題に対して、一市民としての考えを共有しました。