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映画『サーミの血』の感想とレビュー:宮台真司の勧めで観た感動作

昨日、宮台真司の勧めで映画『サーミの血』を観ました。宮台真司が荒野塾を開くにあたって、映画『AIR』を観て、「良いなぁと思えば仲間だ」と言っていたので、観てみることにしたのです。久しぶりに感動した映画でした。宮台真司社会学者として、人をクズ呼ばわりしつつも、その洞察力とフィールドワークを重んじる姿勢には天才的な領域を感じます。この人の講義をぜひ聴きたいと心底思いました。

映画『サーミの血』のあらすじ
この映画の主人公はサーミという少数民族出身の少女で、サーミアイデンティティを見出せない彼女は、小学校で覚醒し、近代人として生きることを夢見て都市に行き、教師になり結婚して子供を持ちます。彼女の妹はサーミ部落に残り、サーミアイデンティティを全うします。主人公はヤギや父親の銀のベルトを売ってまで都市の学校に入学し、教師になる道を選びました。

映画のテーマとメッセージ
どんな差別的な環境でも、自分の努力で常識を打ち破れば世界は変わるというメッセージが込められているように思えました。私自身、両親と一緒に暮らしているため、サーミアイデンティティのように生まれ育った環境に染まっており、リスクを承知で道を切り拓くことができていないと感じました。そのため、どちらの生き方を応援すべきか迷う心境でした。

宮台真司社会学的視点
宮台真司はこの映画を社会学的視点で解説しています。主人公がメトロノームで踊れない理由を、定住民として育っていないために時間軸で物事を理解できないからだと説明します。他の生徒が当たり前にできることが彼女には理解できないのです。

サーミ部落のことを揶揄われた主人公が、「あなただってサーミの血が流れているんだ」と叫ぶシーンでは、人類が「私」という主語を見つけるまでに時間がかかったと宮台は話します。未来は未規定であり、頑張れば変えられると信じる現代社会と、未来は選べないとする先住民の社会の対比が描かれています。

フィールドワークと論理展開
宮台真司のアプローチは、フィールドワークを重視し、直接見て触れて感じたことから論理を展開する姿勢にあります。彼は、理論だけでなく実際の体験・経験に基づいて社会を解釈しようとするため、その洞察力には多くの学びがあります。

映画のラストシーンの解釈
映画のラスト、主人公が妹の耳元で「ごめんね」とささやくシーンは、理屈を超えた感情が込められています。彼女が自身の生き方を貫く中で、妹を守れなかった思いが込み上げてきたのだと思います。この映画を通して、一人の女性の人生の濃さや壮大な自然の中で生きる彼女の懺悔と感謝が感じられるはずです。

妹への懺悔と感謝
主人公が棺を開けて妹に「ごめんね」とささやくシーンでは、彼女の心の中で積み重なった感情が爆発しています。これは、彼女が自身の夢を追い求める中で、妹を守れなかったという後悔と、その妹への深い愛情と感謝の表れです。このシーンを通して、観客は主人公の内面の葛藤とその成長を深く感じることができます。

まとめ
映画『サーミの血』は、少数民族アイデンティティや近代化の過程での葛藤を描いた感動作です。宮台真司の解説を通じて、社会学的視点からも多くの学びを得ることができました。この映画の素晴らしさを多くの人に伝えたいと思います。是非、あなたも『サーミの血』を観て、その感動を体験してみてください。

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