nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

お問い合わせフォームはこちら

人の意識を不老不死にできる未来は、間違いなく訪れる!宮沢賢治は、それに気づいていた!

堀江貴文氏が、以下の記事を投稿していた。彼は、自他共に求める情報ジャンキーということで、情報への真摯な姿勢は、素晴らしいものがある。炎上させる発言をして、注目を浴びるやり口が好きではないが、そうでもしていなければ、忘れ去られる厳しい世界にいるのであろう。

 

彼は、知識をいかにお金に変えられるかという視点に長けているし、実際、話が日常生活に富んだものになるので楽しい。違和感を覚えるのは、頭の良さというものが、万能であると言わんばかりの思い上がり、無知の知を知らない姿は、頭が悪い人にも思えてくるから、よくわからない人だ。

 

劇画や中間小説が好きなタイプで、人間認識が弱いとも思える。話の中で、人間の行動の心理を述べる際の幼稚さは、少し気になっている。前は、尖閣諸島を中国に譲り渡して、お金でやりとりすればいいとテレビ番組で述べたことがある。これは、人間が、どれだけ業が強く、救いがたい存在であり、心の奥底に凶悪なものが誰しもうごめいていることへの理解がみじんもない。あきれるほど、無邪気な男で、経営者が務まらなくなったのもわからなくない。

 

堀江貴文をディスっていても、彼は、こんなブログを歯牙にもかけないだろう。今回は、彼が先日発表した記事が、面白くて、ここに掲載する。

f:id:nyoraikun:20240417221055j:image

堀江貴文の記事↓

先日対談した東京大学大学院工学系研究科准教授の渡辺正峰さんが「人の意識を機械に移植する可能性」に関して興味深い話を聞かせてくれた。渡辺さんは、意識のアップロードともいえるような研究をしている。

渡辺さんの話を簡単に要約すると、右脳と左脳を分けたうえで、あらためて左右の脳を連結させる脳梁(のうりょう)にBMI(ブレイン・マシン・インタフェース)を入れる。そこで左右の脳が一つの意識を持つことを確認する。

その後、片方の脳を機械の脳半球に変え、BMIで左右をつなぎ、時間をかけて意識を一体化させていく。記憶についても、長くつないでおけば、もともとの脳半球から機械の脳半球に記憶が移動していくと考えることができるそうだ。

これが実現できれば、いずれ自身の脳が死亡した時にも、機械の脳は意識を持って存在している可能性があり、不老不死の初期モデルができるかもしれない。不老不死とまではいわなくても、脳梗塞で脳に障がいを負ったような人の治療法の一つとなるかもしれない。

渡辺さんは、そもそも「意識を持っているかどうか」を検証する方法を見つけるためにこのような研究をはじめたそうだ。あと10年もすれば猿で実験する目途も立つそうだが、今後が楽しみである。

f:id:nyoraikun:20240417220939j:imagef:id:nyoraikun:20240417220941j:image

f:id:nyoraikun:20240417220943j:imagef:id:nyoraikun:20240417221001j:imagef:id:nyoraikun:20240417221005j:image

人の意識を機械に移すことができれば、愛する人の肉体が滅んでも、話し相手をつとめてくれるようになる。思い出話をしたら、本人と全く同じ声で、同じように話してくれたら、嬉しくもなる。猿で実験とあって、多くの猿を犠牲に供することになるそうで、楽しみだというのは、サイコパスの言動に聞こえるが、私も最高の知の先に、いったい何が見えるのかという興味は、飽きることなく、私の中に木霊している。

f:id:nyoraikun:20240417221014j:image

最近では、「脳は少々手が込んだ電気回路に過ぎない。電気回路としての脳の働きを機械上で再現すれば、そこに意識が宿るに違いないと多くの神経科学者は考えている」この話は、ただのSF小説ではなく、アカデミズムにおいては常識なのだ。この問題について、宮沢賢治は、春と修羅の序文で、今のような脳科学の言葉もなく、AIの用語もない中で、このことを言葉に置き換えて伝えようとする努力の跡がある。やはり、彼は天才であった。いかにも、修身教科書的な扱いで辟易し、かえって、社会人になると読まなくなるという傾向があるけれど、詩作品だけでも、アカデミズムに、立派に評価されるものなのである。

f:id:nyoraikun:20240417221022j:imagef:id:nyoraikun:20240417221030j:image

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料データといつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

 

     大正十三年一月廿日

 

人間はDNAのらせん型のゲノムに支配されている。過渡的な生き物であることは確かであるけれど、今後、もの凄い勢いで世の中が進んでいくだろう。今まで、何世紀もかけて歩んできた道の数百倍の速さでことが進んでいくことが予想される。私は、もう生きることのない100年後の世界を見てみたい。それは、日本人としてみるのは、怖いことだ。このままでは、4等国になっているような気もする。日本という国名もないかもしれない。

 

人間は人間に絶対に服従しないから、イランのミサイルが、イスラエルの夜空に煌めいたように、核の雨が、地球を覆い、絶滅をきたすのは、間違いないと思う。ひとりひとりが、自分だけ良ければいいというカルマを抱き、それが60億人もいる。地球を何回もぶち壊すだけの兵器を人間は手にした。これを使わないなんてことは、ありえるはずがない。100年後、地球は残っているだろうか?

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ こころの風景へ
にほんブログ村
カテゴリ
阪神タイガース・プロ野球・スポーツ