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イスラエルの空に描くイランからのシューティングスターは、何を意味するのか?


仕事を終えた後に、疲れがしっとりと溜まっている状況で、寝るのを我慢して、ブログを書いている。責任者になると、やはり疲れもどっと出て、読み書きする時間もとれず、ただ社畜となるだけである。このまま人生を終えたくないとしても、生活はいきなり変えようがなく、家出しようにも、両親が高齢であるから、置いていくこともできず、ただ、おかれている環境に、人間は縛られているものだと、落ち葉老人のような心境になってくるからいただけない。

前の記事にも、1個の人間は、金魚が金魚鉢にいることを知らないように、時代の影響を強く受けて存在しているに過ぎず、私が未婚であることも、この歯車が合わずに、イライラしてきた人生も、宿命によるものがほとんどなのである。川上量生が、生成AIをつくる上で、愛のことについて話していた。愛は、すなわち自己愛の延長に過ぎないという見解だ。

スマホや、彼女が好きというのも、スマホが手の延長にあるうちはいいが、離れてしまうと、喪失感が生まれる。彼女が好きというのも、一緒にいる間は、自分の所有物として認識していられるが、離れてしまうと、自分のものなのに、無くなってしまったということになる。自分のものだと思わないところに、愛はないのだという考えを述べている。独占欲に近いものなのだということで、彼は愛を述べている。

これには、異論もあり、愛の定義がいったいなんであるのか、この言葉ほど曖昧なものはない。愛という文字を、言葉の後ろにつければ、大体、体裁がよくなるし、暴力愛、信者愛、瘋癲愛、食欲愛、殺戮愛、輪姦愛、戦争愛、無駄愛、雑言愛、変体愛、無人愛と、なんでも、気違いになって書きなぐってみても、変な言葉には聞こえない。このうちの戦争愛について、イランから多くのミサイルが、イスラエルの上空を飛び交った。


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動画でみていると、夜空から沢山のミサイルが、落ちてくるのをみていて、恐怖感を覚える。動画を撮影している者の手は震えている。コメントの投稿欄には、ただただ恐ろしかったと書かれている。そのシューティングスター(流れ星)に見える光の一つ一つが、人類の叡智によって作り上げられた憎しみの連鎖を生むミサイル兵器であるのだ。自国を守るため、相手を破壊するために、作り上げた兵器が、憎しみの光を美しく描き、散っていく。

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人間は科学の成長においてとどまるところを知らない。しかし、人間としての在り方については、えらく子供じみてくる。外に拡張する力、すなわち科学の才能については、無限の可能性があるけれど、人間同士のきまりごとを守って、よりお互いを尊重し合い、豊かに、いがみ合いもなく、仲たがいもなく生きていこうということになると、あまりにも幼稚になってしまうのは何故だろうと言っていたことがあった。

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地球を滅ぼすほどの武器を持った人類が、それぞれwinwinの関係も築けず、憎しみが愛を呼び、愛が憎しみを呼び、地球の上をさまよっている。イランとイスラエルが、ロシアとウクライナが、国と国が争っている状況は、世界大戦前夜といっていいほどの危機的なことである。局地戦ではなく、力のある大国同士がやり合いだしたのだ。世界の破滅が、近づいている音が聞こえる。

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もともと2大国が、核をつくり続ける負の連鎖が理解できなかった。多額の資金を用いて、まだまだ、まだまだと、アメリカもロシアも負けじと核開発を続ける。100発ぐらいあれば、攻撃も戦略も十分なのではないのだろうか? 何故、あんなにも、札束を、暗闇に投げ続けるような真似をしなければならないのか?もう、この宇宙の原理、ブラックホールである虚無の前に、神無き時代の人類は立たされている。

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このニヒルにとりつかれた病を乗り越えるのは、核による地球の破壊か? 美による生の救済か? という場面に立たされているということである。ここに書きながら、人間は、地球を60回も壊すほどの力を手に入れたと信じている思い上がりなのかもしれない。私は、何故、イスラエルの夜空に、ミサイルが花火のように飛び交わねばならないのか? という答えを見つけられずにいる。

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経済が上手くいかなくなり、人々の生活が苦しくなると、時の権力は人々の不満が反権力に向かわないように、架空の敵を作って敵愾心を煽り、一時の求心力を得ようとする。これはいつの時代でも、権力の常套手段だが、人々の不安が閾値を超えると、非合理的な熱狂のもとに、破滅に向かって一直線に進んでしまうことが、しばしば起こるのも、歴史が我々に教える教訓の一つである。

破滅の形態の中には、集団自殺などと言ったものも含まれるが、もっとも一般的なのは国と国の戦争であろう。現・京都大学総長の山極寿一は、『ゴリラは語る』(講談社)と題する子供向けの著書の中で、戦争の原因として「所有」、「言葉」、「アイデンティティ」、「過剰な愛」の4つを挙げている。

私はかつて、この山極の説を簡単に解説したことがあるが、ここでは少し詳しく思ったところを述べてみたい。まず「所有」。これはよくわかる。農耕を始める前の狩猟採集生活の時代には、人々が所有している財はほとんどなかったので、集団の存亡をかけた戦争はまず起こらなかったと考えられる。農耕を始めて、貯蔵している穀物の量や耕地の面積が大きくなれば、これらを強奪するために武力に勝る集団が戦争を仕掛けるようになったのは、ありそうなことだ。人間以外の霊長類は、現在手にしている物以外に所有している財はないので、個体間の、食べ物や性的パートナーの取り合いをめぐる争いはあるにしても、集団間の大規模な戦争はない。

特に重要なのは、土地の所有という概念である。狩猟採集民には、縄張りという概念はあっても、土地の所有という概念は希薄であったろう。獲物がよくとれる草原、魚が沢山いる川、果物が豊富な森は、利用すべき重要な土地だとは思っていても、自分たちの所有物だとは思っていなかったに違いない。農耕や家畜の飼育が土地と強く結びつくことによって、土地は死守すべき重要な財となったのだ。さらに、化石燃料をはじめとする地下資源が、産業の発展にとって極めて重要な財だということが認識されて以来、土地は最も重要な財になったといってよい。国家間の戦争の原因の多くは資源の争奪か、それに伴う領土争いだということからもそれがわかる。

次いで、「言葉」と「アイデンティティ」は後回しにして、「過剰な愛」について。人間ほど「過剰な愛」を持っている動物はいない。愛する者を殺された人の心に芽生えるのは復讐心である。ライオンの群れ(プライドと呼ばれる)は、1頭から数頭の成熟オス、10頭前後のメスと幼獣からなるが、成熟オスが老いぼれてくると、若いオスに群れを乗っ取られてしまう。群れを乗っ取ったオスはまず、群れの幼獣を皆殺しにする。メスは子供を産んだ後、2年間は発情しないため、幼獣がいると、乗っ取ったオスはその間自分の子を作れないのだ。幼獣を殺されたメスは、しばらくすると発情し、自分の子供を殺したオスと交尾して、110日後には通常4頭の赤ちゃんを産むのである。ライオンには愛する子供を殺された後に復讐心は生じないようだ。というよりも人間と同じような「愛する」という感情はないのかもしれない。

しかし、人間は違う。愛する者を殺された人は時に復讐の鬼と化し、場合によっては自分の命と引き換えに、復讐を遂げようとする。アメリカがいくらIS(イスラム国)を掃討しようとしても、イスラム教徒を皆殺しにしない限り、テロはなくならないだろう。愛する者を殺された人の復讐心を消すことは不可能だからだ。テロで殺された人の家族もまたテロ組織を憎み、かくして復讐のスパイラルは回り続ける。この悪循環を断ち切るのは、強者の寛容以外にはないのだが、権力は人々の復讐心を権力への求心力に変えて、政権を維持しようとすることが多く、テロの後には必ず、報復という話になり、テロはさらに拡大再生産されることになる。

最後に「言葉」と「アイデンティティ」について考えよう。この二つは密接に関係している。「言葉」は不可避的に「同一性(アイデンティティ)」を孕むからである。山極は「アイデンティティ」を帰属意識だと考えているようだ。自分は特定の集団に属しているという意識である。家族への愛は、敷衍されて帰属している集団への愛に代わり、最後は愛国心という話になる。大相撲で郷土力士を応援するのも、高校野球で母校を応援するのも、オリンピックで自国の選手を応援するのも「アイデンティティ」のなせるわざというわけだ。

帰属している集団があることは帰属していない集団もあるわけで、帰属集団への愛は、時に帰属していない集団に対する憎しみに変化しやすいのだろうか。対立している他集団へのコンプレックスが強いとき、他集団への憎しみは集団ヒステリーのようになって、国を挙げて戦争に突き進む原因となることも多いのは、先の第二次世界大戦の始まる前から敗戦までの、日本の状況を考えればよく分かる。鬼畜米英と叫んで、敵への憎悪と戦争に勝ちたい願望が頭を占拠して、現実が全く見えなくなってしまったのだ。

山極の洞察で一番鋭いのは「言葉」が戦争の原因だと指摘したことだ。言葉がなければ、概念もなく、したがって国家などと言う実在しない概念を守ろうなどと考える人もいなかったろう。個々の個物としてのイヌは現象として実在するが、イヌ一般は実在しない概念なのだ。個々のがん患者は実在するし、個々の病状も実在する現象であるが、「がん」という名で表される概念は実在しないのである。

アリストテレスは『命題論』で「名称は約束によって意味を持つ音声で、時を含まない」と述べた。この物言いは真に正しいと思われる。名は常に不変の同一性を孕むのである。しかし、すべての現象は不変ではありえず、したがって不変の同一性を孕む名によって表される概念もまた実在しない。残念ながら、このことを理解している人は多くない。もしかしたら、これこそが究極の戦争の原因かもしれない。

イランからはるばるイスラエルの空に届いたミサイルの群れは、花火のような、人間の言葉による産物であるということか? 名は常に不変の同一性を孕むのである。しかし、すべての現象は不変ではありえず、したがって不変の同一性を孕む名によって表される概念もまた実在しない。一切が過ぎていく世界で、名によって表される概念も実在しない虚無の表現であったと言えるだろう。

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阪神タイガース・プロ野球・スポーツ