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吉原『満す美寿司』(ますみ寿司)江戸前の老舗と、ナマ渥美清をじかに感じる!


この方が、寿司を握ってくれる店主であり、もうこの代で店をたたむそうだ。とても、気さくで威勢のよい職人さんである。寿司職人の世界にいって、できずに私の働く会社にきて、魚をさばいているものがいた。握りまではやらしてくれずに挫折したとあるから、職人の世界は厳しいのだろう。
この店主は、せがれとあって、仕事先は約束されているようなものだから、職人社会の過酷さを身をもって体験してはいないかもしれないが、やはり、江戸の寿司職人を思わせる身のこなしや、粋な姿は、人間国宝という言葉が思いつくほどだ。
隣で、50年来、この寿司屋に通っている男性がきていて、福岡から上京してきた当時は、寿司を食べたことなんか、いなり寿司ぐらいしかなくて、こんな贅沢なことをしていいのかなというぐらいだったのが、かれこれ50年、この店に通わせてもらっているとしみじみ話していた。渥美清の話になって、まだ、寅さんとしてデビューする前から、この寿司屋に通っていたけど、親父が亡くなった後に、兄も、古今亭志ん朝も、渥美清も若くして死んじまったなぁと店主が下を向いて呟く姿が、まさに江戸の生き証人みたいである。この切なさが、粋なのだ。
浅草6区にデパートがあった当時の賑わいを、2人が話していて、三島由紀夫の『百万円煎餅』の舞台であるから、興味深く質問をした。店主の友人に、自衛隊員がいるらしく、市谷駐屯地の三島の演説は、何を話しているのか全く聞こえなかったそうだ。ヘリコプターの音にかきけされ、身振り手振りだけが、目に映るのみだったそうだ。
客できている70歳の男性、寿司を食べることが夢だと語った男性は、当時高校生で、教室に行くと、三島が腹を切った騒いでいたというから、やはり全国区のネームバリューは当時からあったと知ることができた。

店主の父親が、吉原遊郭の中で、商売をしていたらしく、遊郭廃止に伴い、現在の場所に移転した。その際、建築家は、吉原の当時を忘れないような建造物にしたいと、内装まで、当時の吉原建築を模したものにしてあるということだ。畳と土間と畳の間にガラス板のようなものが挟まっているとみられるが、これが、吉原建築の名残りである。

皿に置かずに、目の前の板においていく。衛生的に最初は抵抗があった。しかし、慣れてくると、江戸前とはこういうものだと、タイムスリップした気分になる。

先ほど、ソープランドを出た後に見た景色。あの塔は、美しくなり損ねている。だから芸術ではない。


話は戻ってますみ寿司。

若かりし頃の渥美清。威勢のいい寅さんがいる。テレビと実際もあまり変わらないとのこと。住んでいる場所は、口外せず、タクシーで帰る時も、途中で降ろしてもらい、居場所を特定させない努力は目立っていたとのこと。

ねじり鉢巻きをしているのは、現在の店主の若い頃、隣は、古今亭志ん朝の超絶若い頃。

これぞ吉原遊郭。この板は、吉原の店にあったもの!

店を後にすると、パイアグラの副作用がきて、頭痛がする。前に、白人の若い男性4人がスマホを片手に東京の街を練り歩いている。何か興奮しているようだ。私も海外旅行をしたいけど、本当に仲の良い友人はいないし、1人旅になると、孤独感が増してきて等、悩んでくるのも、パイアグラの副作用かもしれぬ。
若くして早く逝ったなぁと呟いた店主の姿が頭をよぎる。私の両親は年々活力を失ってきているし、独りぼっちになった時に、私にどんな心境の変化が訪れるのか? 私はどう生きていけばいいのだろう!
ちなみに、ソープ嬢yotuberもこの店を取材にきたとか↓


吉原遊郭に貧しい農村から売られてきた娘を見てきた時代の人、店主の親父である↓

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阪神タイガース・プロ野球・スポーツ