nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

『素晴らしき哉、人生は』(今から70年前の女優に恋をするとは?)

昭和21年(1946年)戦後1年目にアメリカで作られた映画に『素晴らしき哉、人生』という映画がある。この映画は、アメリカ映画協会の感動映画ベスト100において1位に入っている作品で、毎年、クリスマスには、全米で放映されるということだ。主人公は、大学を出たら小さい町を抜け出して、より大きな場所で建築家の仕事をして活躍することを夢見る野心家の青年である。彼の志は、父親の突然の死によって歯車が狂わされる。それから彼のやることを、ことごとく周囲の事情に阻まれて、思い通りにならない。下記のWikipediaのあらすじに書かれているが、自分の人生等ない方がましだった、みんな幸せになっていただろうと2級天使に訴える主人公のジョージは、自分が生まれてこなかった世界を見せられて、すべてを元に戻してほしいと願う。
ja.wikipedia.org
自分のしたことがいかに大きいことであったのかを悟ったジョージは、元の世界に戻り、大喜びで家に帰るのである。ほとんどの人間にとって、幸せでないのは自分が幸せであることを知らないからだ、ただそれだけの理由なのだという一文がドストエフスキーの書籍にあったことを記憶しているが、確かに幸せな人はものの見方が、幸せな見方をしていると言えなくもない。
アメリカ人というと、フロンティアスピリットが強く、主人公ジョージのように、生まれた町を出て、世界にまたがる仕事、よりクリエイティブな仕事に生涯を捧げようとするスティージョブズのようなタイプの青年像をイメージするし、それを称賛し、掲揚するという風に考えていた。しかし、この映画は、東洋における華夷の弁のように、生まれたところに根差して、そこで頑張ることこそ華だというモラルをあらわしている。人間の感じる美徳というのも、洋の東西を問わず隔たりの無いものだ。いくら世界旅行をしても、人間の心は、それほど変わらないのなら、世界中の多くの人達と交わるよりも、自分の内面に目を向けることの方が、より世界を旅できるという逆説も成り立つのではないか?

話は変わるが、ドナリードの美貌が、私にとってドンピシャであった。
現代のハリウッド女優は、人工的な施しがあって合わないものを感じるが、戦後1年のスクリーンに現れたドナリードに憧れてしまう。太平洋戦争における硫黄島で激戦を繰り広げられていたアメリカ兵の兵舎にドナリードのポスターが貼られていたというが、それから70年以上経って、東京郊外にある団地の一室にも、彼女を憧れて眺めている男性があるというのは不思議なことだ。『素晴らしき哉、人生』に出演している役者は全員亡くなっているけれど、まるで亡霊のように映像に残され、今日、鑑賞する人に感動を与えるのだ。そのことに一体何の意味があるだろうか。

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