この映画との出会いは、「ロッテントマト」である。全米の映画批評サイトであり、評論家の支持率をトマトで、一般人の人気度をポップコーンで表している。すべての映画作品におけるベスト100が掲載されている。その中で、出来るだけ新しい作品、自分の心情に近いものを選ぼうとネットで調べてみた。あれこれ考えていると、コロナで3日3晩熱にうなされた私としては、気分が悪くなってきた。熱が下がってから、今日で3日目だから、まだまだ様子を見ないとわからないけれど、倦怠感が半端ない。今日は、1日中、身体がだるくてしょうがないのだ。咳喘息の症状は薬が効いてきたのか緩和はされている。
シャイで不器用な女の子ケイラが、中学卒業を前に自分を変えようと、みんなに認められようと悪戦苦闘する姿を描くというものだが、このテーマは、書きつくされ描きつくされているほど普遍的であるし、新鮮味に欠けるものになりがちである。
幼い頃からスマートフォンを初めとしたネット社会の中で生活してきた思春期真っ只中の中学生の内面は、いったいどんなものだろうという興味があった。しかし、ほとんど人間の求める愛の姿は変わらないものだ。いかに技術が進歩して、多くの情報にさらされても、人が人に求める愛情は、いたってシンプルなものだなぁと思う。
悩めるケイラが、高校生活を始めるにあたって、3年後の彼女に、ビデオメッセージを送る形で、この作品は終わるが、主人公のケイラが躓きながらも、前へ進んでいる実感が伝わってくる。見終わった後も、彼女が生々しくも自分のうちに存在しているようだ。日本独自の思春期というものはなくなって、思春期の様相は、世界共通のものとなってくるのだろう。