ROTTEN TOMATOESというアメリカ合衆国の映画評論サイトがある。主にアメリカ人が好んで観る内容に偏りはあるものの、高評価にランクされているものは、どれも心に残る名作であると納得できるものばかりだ。
トマトのパーセンテージが評論家の評価、ポップコーンのパーセンテージが大衆の評価となっている。
『コレクティブ 国家の嘘』というドキュメンタリーがトマト96%であって、会社の腐敗というものを感じていた時期であったから興味をもった。
あるライブハウスで火災が起きた状況が映像で流れる。
「あれっ、こんな演出はないぞ。消火器はないのか?」
とバンドのボーカルが焦りだす。数秒で火が瞬く間に天井を覆い、観客の騒ぎが起こるとすぐに、場内が煙で見えなくなる。その映像は実際に体験したほどリアルで恐ろしい。
画面が切り替わると、左手の指が喪失し、全身をヤケドした姿の女性がカメラに写真を撮らせている。顔立ちがモデルのように美しいことで、事故の痛々しさがより際立ってくる。
しかし、この写真を観た事件の遺族の方達は、これよりも軽いヤケドであったのに、何故、死なねばならなかったのか? という疑問を抱くのであった。
病院に運ばれた64人が死亡した理由がありうべからざる感染症であり、消毒液を本来の10倍に薄めてつかっていたということがわかってくる。明らかな事実であり、与党であった社会民主党は政権から退陣する。代わりに厚生省の大臣になった正義感が静かに燃えているような男は、政治的腐敗を正そうと、一生懸命、対処しようとするが、マスメディアも病院も警察もすべて国家ぐるみで行われている犯罪であったのだ。結局、新たな大臣は何もできずに、次の選挙で、また社会民主党が政権を得て騒ぐテレビ番組をシニカルに眺めていることしかできない。
事件の被害者の家族が墓参りで集まり、父親と母親は悔しさで涙を目に浮かべている。被害者の彼が好きだった歌が流れる。子供の頃に憧れたヒーローはどこにもいないという歌詞を父親が涙声で歌い、フロントガラスがぼやけて映し出されたところで、映画は終わる。
この嘆きの言葉が、正義のヒーローに憧れていた少年時代を思い出させ、心の琴線に触れるのである。この映画の普遍性は、ルーマニアの国家ぐるみの不正でありながら、一つの会社においても、これに近い癒着を目にすることがあるだろう。
ROTTEN TOMATOES のサイトでは、
「政府が国民への責任を放棄したときに起きる政治的腐敗と公的なシニシズムのサイクルについてダークで効果的な概要を提示する」
「世界を改善するため、あるいは少しでも嫌なことを減らすために何が必要なのか、正直で影響力のあるやや古風なユートピアの例が描き出されている」
会社員生活も、もう20年近くになるが、いつも不可解さ、理不尽、癒着を感じている。大きな壁の前でもくじけずに生きようと励まされているような気持ちになれた。たった一人だけでも声を出して変えようと努力しない限りは組織の不正は何も変わらないのだ!