一切は過ぎていくものだな。骨折して休職していた時に、多くの映画や本を読めた日が懐かしい。貯金も2000万円近くあるから、全く働かないで、本を読んだり書いたりするのだったら、一体、何年ぐらいしのげるのだろうかと思う。好きなことだけしたいとすれば、そのことが頭に浮かぶ。文学ほど楽しいものは、世の中にないだろう。
橈骨頭骨折をしたのが、6月27日であり、それから、本日、8月6日までの経緯を書いてみようと思う。橈骨頭骨折とネット検索をして、一番救われたのは、医者が書いたものではなく、実際、怪我をして、リハビリを経ていく過程を記録した個人のブログであった。私も、正直に書くことで、いつか誰かに、その想いが伝わる日がくるのではないか。
6月27日に、職場であるスーパーの廊下を走っていて、鉄台車につまづき前倒しに転んでしまった。刹那、左腕で受け身をしたために、左肘の橈骨頭に骨折(ヒビ)が入ってしまったのだ。18時を過ぎていたため、緊急病院で診察を受けることになった。レントゲンを撮り、再度、診察室から呼ばれると、4人の看護婦と医師が真剣な顔で立っている。
「今から固定しますから、ワイシャツを脱いでもらっていいですか?」
と看護婦が険のある声で目を合わせてくる。これはただ事ではないと感じた。肘は、動かすと身がすくむような痛みであったから、ただごとではないことはわかっていた。骨折だけは勘弁してほしかったがしょうがない。おそらく、手術の必要はないだろうと、夜間の研修医らしい男性に言われた。
ギプスがとれた後のリハビリの大変さが頭に浮かんで憂鬱になってきた。
翌日、医者がレントゲンをみて、仕事は何をしているかと聞いてきた。鮮魚の仕事で、魚を卸したり、販売したりする仕事だと答えると、
2ヶ月はできないんだと優しく諭すように話してきた。書いてもらった診断書には、橈骨頭骨折 3週間の固定と、2ヶ月間の左腕完全免荷と記入してある。この先、どうなるんだろうという不安になった。
1週間後に骨折部がズレていないか確認して、3週間後に、固定を外してもらった。これ以上、つけておくと、肘が永遠に動かなくなるから外すんだからね、死ぬほど気をつけてね、簡単にズレるんだからねと念を押された。
すぐに復職とならず、人事部が間に入ってくれて、固定が外れてから、7日後に出勤することになった。鮮魚の現場は荒いから、固定が外れてすぐでなくて、やはり良かった。左腕が全くいうことをきかず、白く細くなった状態でやることになるとしたら、想像するだに怖いことだ。
固定を外す時に、伸びと曲げをやってみてと言われた。曲げは自然になるだろうから、伸びを意識的に、1日数回はやっておいて欲しいと言われた。1週間後に再度レントゲン写真を撮ってみた。ズレは無いが、まだ左腕がしっかり伸びていないらしく、しっかりやっておいてと言われた。手を伸ばして、手首を上に向けて、5指を下に向けるように力を入れるだけでいいそうだ。反動をつけて、伸ばそうとする必要はないということで、毎日、努力しているのだが、これ以上、真直ぐ伸びないようで、リハビリも壁にぶつかっている。朝起きると、また、腕が硬直して、何度か腕を伸び曲げをしないと、柔らかくなってこない。6年前、親指の腱を切った時も、柔軟性を取り戻すまで、数年かかった。左肘は、残り1ヶ月で元に戻るのだろうか? いや、仕事が出来るようになるのだろうか?
逃げ出したくなるけれど、前を向いて取り組んでいかなくては!
古代のアポロのトルソー
そこで二つの眼球が熟れていた
アポロの比類のない首をわれわれは知ってはいなかった だが
その胴体(トルソー)はいまもなお燭台(カンタラ)のように燃えているのだ
そこには彼の物を見る眼が ねじこまれたまま
失われずに 輝いている さもなければこの胸の隆起が
お前の眼を眩ますことはできないだろう そして腰の
かすかな回転にひそんでいる一つの微笑が
生産を孕んでいたその中心へ向ってただよってゆくこともないだろう
さもなければ この石は畸型で
両肩の透明なまぐさの下の不様な石にすぎないだろう
そしてこんなに猛獣の毛皮のようにきらめくこともなく
そのあらゆる隈々から まるで星のように
輝きでることもなかろう なぜならこの像にはお前を見つめていない
部分は何処にもないからだ お前はお前の生を変えなければならない
夜の散歩↓