小学校1年生に入学した私を待ち受けていたのは、「田中真紀子」という名前の担任の先生でした。名前だけ聞くとインパクトがありますが、当時の私は、彼女の厳格さや決めつけるような指導スタイルに馴染めず、初日から「学校に行きたくない」と泣きわめいてしまいました。次の日、田中先生がわざわざ家まで来てくれたのですが、その場で「指切りげんまん」をしてなんとか通学を約束したのを覚えています。けれど、心のどこかで「この先生には自分を理解してもらえない」という壁を感じていたのです。
左利きの孤独と周囲の目
私は左利きで、クラスでは白根君と私だけが左手を使っていました。しかし、彼はいつの間にか右手を使うようになり、私は孤立感を感じていました。右手に変えることで周囲に溶け込むのか、それとも左手のままでいるべきか――幼いながらも葛藤がありました。白根君の成績が良くなると、「右手に変えたからだ」と単純に結びつけて考える自分がいて、そんな思考の短絡さが子供の世界のリアルでした。
鉄棒の逆上がりと先生の厳しさ
鉄棒の逆上がりができず、田中先生に「できるまでやってみなさい」と1人教室に残された日もありました。できたふりをして戻った私に、先生が「本当にできたの?」と嫌味を言ったのを今でも覚えています。当時は「意地悪だな」としか思えませんでしたが、今振り返ると、私の先生に対する懐かなさが、彼女の態度に影響していたのかもしれません。
藤井君との奇妙な安心感
救世主のような存在だったのが、藤井君でした。彼もまた私以上に課題をこなすのが苦手で、いつも田中先生に居残り指導をされていました。彼の存在があったおかげで、「自分がいじめられる心配はない」とほっとしていたのです。ただ、田中先生が藤井君を叱る姿を見て、「こんな風に叱られるのは怖い」と思った記憶もあります。
1年生で感じた「先入観」の力
絵の評価でも、「藤原君の絵が一番いい」という結論に毎回なることに納得がいかず、一度親に描いてもらった絵を持って行きましたが、それでも結果は変わりませんでした。この経験から、「一度評価された人がその後も評価され続ける」という先入観の力を1年生ながらに実感しました。この法則は、現在の社会にも通じるものがあります。例えば、堀江貴文(ホリエモン)の動画が内容が薄くても多くのアクセスを集めるように、名前やブランドが先行しているだけで人は信じやすいのです。
今に繋がる「危機感」の原点
私は早生まれで3月末日生まれ。1年生当時、発育の遅れもあって周囲についていけないことが多く、それが大きな悩みでした。リボン結びができず、家に帰って教えてもらう日々。それに加えて田中先生の厳しさ。そんな環境の中で私は、「人より劣っている自分は、倍努力しなければならない」という強烈な危機感を持つようになりました。この感覚は今でも私の中に残っており、休みの日でも仕事をしなければ不安になるという性格に影響を与えています。
まとめ:1年生の教室が映す「社会の縮図」
小学校1年生の教室には、すでに社会の縮図がありました。厳しい指導をする田中先生や、先入観に支配される集団の目。そんな環境で私は、自分の弱さや社会の理不尽さを早くも学びました。けれど、その経験が今の私を作っているのも事実です。
今後、この記憶を手繰り寄せながら、私自身の「原点」に迫る文章を紡いでいきたいと思います。