職場で、近くのものを大切にしない人がいることに悩んでいると以前に書きました。最近、SNSを流し読みしていると、ボクシング界のチャンピオン、タイソン・フューリーの言葉に出会いました。「窓の外から眺めている時は何でも豪華に見えるだろう。でもな、高級ステーキ、ロブスター、ランボギーニや、女に大金……、一度手にすればどうってことはない。願いなんてのは叶った瞬間、どうでもよくなっちまうものなのさ。」
この言葉に触れ、私たちが遠くにあるものを美しく思い、追いかけるのは本能なのだろうかと考えました。田舎に行くと、夜中の電灯に多くの虫たちが吸い寄せられるようにぶつかっています。朝になると、その下には痛ましい死骸が転がっています。岩手の簡保の宿に家族と泊まった時、早朝にカブトムシを探して歩きました。電灯の下に1匹のカブトムシが転がっていて、生きていたら持ち帰ろうとしたものの、死んでしまったら無価値だと感じ、そのまま宿舎に戻りました。
孤独と向き合う
大学1年生の頃も、家族と共に岩手の簡保の宿に泊まりました。中年の男性客が1人で食事をしていて、その孤独感が私には怖く映りました。それが他人事ではないからでしょう。私もいずれ1人になるだろうと予感していました。その時から、独り身で考え事をするのが好きでした。人と会う楽しさは既に失われ、読書の時間が私にとっての天国になりました。
タイソン・フューリーの言葉は、まさにこの孤独感と向き合う私に響きました。彼もまた、ボクシングという華やかな世界で成功を収めた後、内面的な葛藤と向き合い、メンタルヘルスの問題に取り組んできた人物です。彼の「願いなんてのは叶った瞬間、どうでもよくなっちまうものなのさ」という言葉は、目の前にあるものの価値を見失いがちな私たちへの警鐘とも言えるでしょう。
宮沢賢治の詩に学ぶ
宮沢賢治の詩もまた、私たちに重要な教えを与えてくれます。賢治は生涯を通じて自然と人々を愛し、その作品の中で常に純粋な心を持ち続けました。彼の詩「雨ニモマケズ」は、私たちがどんな困難にも負けずに生きる姿勢を教えてくれます。
雨ニモマケズ
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体を持ち
欲はなく
決していからず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きしわかり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さなかやぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し※
寒さの夏はオロオロ歩き
みんなにでくのぼうと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういう者に
私はなりたい
私もまた、この詩に触れるたびに、自分の人生を見つめ直し、近くにあるものの大切さを再認識します。タイソン・フューリーが教えてくれたように、遠くの豪華なものに目を奪われるのではなく、身近なものに価値を見出すことが大切です。