高校生が演劇鑑賞で後部座席に団体できていた。緑の皮膚で産まれた女性ネッサローザが差別で苦しんでいながら魔術をつかえる。一方で、白い肌で女性としての魅力に何もかも恵まれたグリンダであるが魔術がつかえない。2人の友情の物語でありながら、そこで起きるものごとは、人種の多様性を受け入れられない問題が、根強くあり、ウクライナとロシア、ガザ地区とイスラエルの戦争にまで想像が及ぶテレスコープであるといえなくはない。いわゆる『ウィキッド』は、ミュージカルという詩なのである。今まで劇団四季は娯楽の要素が強いと感じていたが、劇団四季のオンディーヌに匹敵するぐらい中身の濃い内容であった。
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私はクライマックスの2人で過ごした時間は私の大事な宝物と、永遠の別れを歌い合うところで涙を流してしまった。5年前に婚活をしていた時、誰も相手にしてくれなかったけれど、1人、本当に将来を考えてくれた女性がいた。容姿は正直よくなかった。それを理由に、結果としてフェードアウトしたことが、私の心の傷になっている。私は振られて傷ついていたけど、自分も同じことをしている。相手の気持ちが伝わってきて、ひどくつらい気持ちになる。女から受けた傷は女でしか癒せない。ソープランドで癒すことを覚えたのもこの頃だ。彼女はデートの最中、ウィキッドの『あなたを忘れない』という歌が好きだと教えてくれた。彼女は今、結婚したのだろうか? 元気でいるだろうか?
過去の記事で、彼女との出来事を書いたものがあるか探してみた。いくつ探しても、書いていない。本当にシリアスな内容は、消し難い心の傷についての言及は、案外、無意識に避けているのだろう。
カーテンコールでネッサローザとグリンダが仲良さそうに飛び跳ねて、ポーズをとるところ、まるで、映画ラ・ラ・ランドの有名な場面、男女がダンスのように向かい飛び跳ねるところそっくりの、あの表現が、かえって重たい内容の中で、キラリと光る砂金のように記憶に残る。神は細部に宿るというけど、何気なくみた些細な情景のほうが、何か大切なことのように、大切なものとして記憶しているのは不思議なものだ。
職場でバイトにきた女子高生の群れが、更衣室できゃぴきゃぴの会話をしていた。それを聞いた社員の2人は、彼女達は社会を知らないから、希望にみちみちているんだとぼやいていた。若いというのは、前途がある分、希望を感じさせる。高校生全員が明るくみえる。彼らに聞いたら、えっ大変だよ、大人の方が金があって余裕じゃんぐらいに考えているんだろうな。
エメラルドシティーは、差別と闘い暗殺されたキング牧師が亡くなる数時間前の演説で唱えていた約束の地で落ち合う場所といえなくはない。「I have a dream]というぐらい彼は明るい人間だもの。21世紀のエメラルドシティーはどこに存在する。