NHKの『ケーキを切れない非行少年達』を動画サイトで観た。職場にいる境界知能らしき人に酷似していて、そのリアルさに気味の悪い思いがする。好きな男性が、親友の女性と付き合っていることを、誰もが知っているのに、主人公の高校生の女性は、知らずにいて、皆が驚く場面など、認知機能の弱さが実に表れている。体育の授業中にも、あまりにも身体の動かし方が不器用で、周りの生徒が爆笑しているところも、作業の不器用さと通じるところがあり、うなずいてしまう。物語は境界知能の主人公に同情を誘うように作られている。頭の弱さから、彼女が人生が、大きく狂わされていく。自分の赤ちゃんを抱いて、赤ちゃんのかわいらしい無垢の笑顔をみて、「あなたに母親は無理だから、お別れの挨拶をしなさい」と実の母親に告げられるところなど、胸に迫るものがある。私も境界知能の部下がいなければ、この事実に同情し、社会問題だと義憤に駆られていたかもしれない。しかし、当事者を経験するとそうはいかない。
仕事には責任があり、私が6割し、部下が4割の仕事をすることで1日の仕事を終える場合、部下が2割しかできなければ、私が無理であっても、8割の仕事をしなければいけないのだ。民間はコストをぎりぎりまで削り、コスパ、タイパを上げて、生産性を上げていくことが求められる。その成果を上げることができる者の評価が高いのであって、境界知能の彼女を部下に持つことは、もの凄く苦しい。
朝も1時間サービス残業をし、終業してからも1時間のサービス残業をして、なんとかしのいでいるという感じだ。もうすぐ私も異動らしく、この先、彼女と他の従業員を組ませたら、必ずトラブルが起こるであろうけれど、対処のしようがないものなのだ。私が彼女を活かす努力をしていても、彼女はその事実をどう考えるかなど、認知に期待すること自体間違いなのだろう。きっと、ゆがんで解釈しているだろう。それでもいいのだ。
僕が僕であるために、君が君であるために、私は自分で考えて最適解を信じて、今日までの1年間、付き合ってきたのだから……明日も彼女と仕事だ。それでも犬の糞を飼い主が拾っても当たり前というように、褒められもしないことに、頭を悩ませる日々はまだ続いてゆく。