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三島由紀夫『鏡子の家』 楠公の像

三島由紀夫鏡子の家』の一場面
日比谷の公園にある楠公の像↓

「低い松の樹かげにちらばった紙屑を踏んで、かれらはそびえ立つ青銅の像を望んだ。それは誰しも知っている馬上の楠公の像である。
鍬形の兜を目深にかぶった楠公が、右手にぐいと手綱を引いて御しているのは、逞しい駿馬で、全身の筋肉を緊張させ、馬首を誇らしげに立て、左前肢で空を掻き、その鬣(たてがみ)もその尾も、はむかう風の烈しい形を刻んで逆立っていた。
こんな古い忠君愛国の銅像が、あの占領時代をとおして、無事に生き抜いてきたのはふしぎに思われる。楠公よりも、馬があんまりよく出来ているので、馬のおかげで目こぼしをしてもらったのかとも思われる。事実、青銅のうすい皮膚の下には、勢い立った馬の若い競技者のような筋肉が熱く充血しているのが見え、血管の怒張もうかがわれ、人をしてこれほどの運動の昂奮のむかうところに、敵の存在を想像しなくては不自然だと思わせる力があった。
しかし敵はもう死んでいた。かつて目に見え、確乎としており、同じ物具に身を固めていた現前の敵は、今は目にも見えず、永遠に遁走してゆく、ずっと狡猾な敵に化身して、銅像の空を翔け去りながら、嘲笑っていた。
5、6人のお上りさんを前に、バス・ガールが説明の口上を述べていた。
「ごらん下さいませ。銅像の馬の尻尾には雀が巣を作って、今も忠孝忠孝と囀っております」
その若々しい唾に滑らかにされた女の声は、春の埃に乾いた口紅の上で、午後になって出て来た風にふきちぎられた。旅行者の幾人かは、一言半句も聴き洩らさぬように、土の滲みた皺だらけの手を耳にあてがっていた。」

三島由紀夫の描写にも、目で見た情景を描写するだけでも、そこに二重にも三重にも意味合いが浮き出てくる。この中で、銅像の馬の尻尾に、雀の巣があって、忠孝忠孝とさえずっているのは、おそらく創作であろう。もし、巣があれば撤去していたはずだ。ここに失われていく日本への漠然とした危惧があると言えるだろう。

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カテゴリ
阪神タイガース・プロ野球・スポーツ