nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

お問い合わせフォームはこちら

三島由紀夫と旅する北口富士浅間神社

 緊急事態宣言が出てから、スーパーの店内が激混みして、鮮魚部に勤める私としてはかつてないほどの疲労が溜まっていた。連日出勤していたため、昨日から3連休がとれることになった。フラストレーションとストレスは、判断を狂わせるものだ。このご時世に、私は旅行をすることにした。
 三島由紀夫の『暁の寺』『天人五衰』の重要な舞台になった「北口富士浅間神社」「三保の松原」「日本平」に行くことにした。
 自宅近くのニコニコレンタカーから車を借りて、高速道路を利用すること1時間半で、富士山駅に着いた。

富士山は曇り空に覆われて見えない。昨日からの疲労と吐き気がとれず、駅構内のトイレを借りて踏ん張ってみた。異様なだるさに襲われて、コロナではないかと不安になったが、今朝の体温は、36度8分であったから大丈夫だろう。
 神社近くの駐車場に車を停めて、風邪薬を飲んだ。天気予報だと曇り空が3時間で晴れるそうだから、12時に目覚ましをセットして寝ることにした。熟睡していたため、音が鳴り響いた時、驚いて時計を見たほどだった。疲労は少し改善されたが、お腹からくるダルさは抜けない。水を飲んでも、胃や腸に負担がかかって苦しくなるほどだ。

 (以下三島の描写が「」で表している。)
「石の扁額に「富士山」と刻んだ巨大な石の鳥居を見上げ」

参道に入ると、尿意を催した。近くの大杉に隠れて、立ち小便をする。
「6人は相扶けて雪じめりの参道を歩いた。木洩れ日が残雪の一部を荘厳にした。茶色の杉落葉を堆い残雪に零らしつづける老杉の梢には、霧のような光がこもり、ある梢は緑の雲が棚引くようである。参道の奥に、残雪に囲まれた朱の鳥居が見えた。この神的なものの兆候が、本多に飯沼勲の思い出を運んだ。」

 確かに神的なものの兆候というのは、明晰にこの情景を表していると思った。奈良の大神神社の本殿に向かう構図と似ている。日本人の神は天上にあり、山の麓に、緑豊かの真直ぐな参道を用意する考えがあるのだろう。
富士登山道と交叉する神橋のところまで来たときに、椿原婦人は、言葉までよろめきながら、本田にこう言った。『御免あそばせ。これが富士のお社だと思うと、そこで暁雄が笑って出迎えてくれるような気がして。……あの子は殊に富士山が好きでございましたから』」
 言霊というのも変だけれど、死んだ三島由紀夫の声が、この場で鳴り響いているようで、霊媒を介して話しているような錯覚があった。

「一行はついに高さ60尺に近い朱塗りの大鳥居に到り着き、これをくぐると朱の楼門の前に、高く積まれた汚れた雪が取り囲む神楽殿にぶつかった。神楽殿の軒の三方には七五三縄が張りめぐらされ、高い杉の梢から、一条の歴々たる日ざしが、丁度床の上の白木の八朔台に立てられた御幣を照らしていた。」
 この神楽殿は神的に感じることができなかった。三島が訪れた時は、残雪があって、特に注意を惹いたのかもしれない。
 

富士吉田市は、中国からの観光客に頼っていたところもあって、住民に一律1万円の給付が行われたそうだ。周辺のお店もシャッターを閉じていて、コロナ対策に奔走することは、もっと恐ろしい経済上の死を招くことになるのだろう。失業者が多くなり、治安が悪くなると、治安維持法のようなものが出来て、それが行政上に利用されていくと、言論の自由すらも脅かされていくものではないか? 
コロナ時代をいかに生きるか? スーパーで魚を仕入れ捌いて販売しているだけでいいのか? 
四十路を前にして自殺したくなる。芥川龍之介の「ただぼんやりとした不安」が私の心を捉えるのだ。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ こころの風景へ
にほんブログ村
カテゴリ
阪神タイガース・プロ野球・スポーツ