令和2年になって、間もなく1月が過ぎようとしている。今年は、三島由紀夫著作の読書、婚活、ブログ、仕事の4輪でいこうと考えている。
先日Trip pertnerというサイトから何故か執筆依頼がきた。調べてみても怪しいサイトではない。しかし、1記事で3000円というだけあって、内容あるものが求められるので、寄稿できるかはわからない。この際、しっかりとした書き方を身につけるためにはいいかもしれない。
三島由紀夫をもう一度読み直すにあたって、三島由紀夫の読書案内というのも、ここで書いていきたい。
『文章読本』という作品がある。古今東西の古典とされる名著を参考に、文章の妙味を解説していく内容である。三島が口述筆記による作品とあって、会話しているような書き方に、彼独特の硬質な文体が緩和されて読みやすい仕上がりとなっている。谷崎潤一郎の『文章読本』は、名文を実際に読み上げることの大切さなど、読者に合わせた実践的な内容が多い。三島由紀夫は、趣味の読書人「レクトゥール」から、精読者「リズール」に変わらなければ、本当の作家にはなれないと、冒頭で力説する。「リズール」は、その人のために小説世界が実在するその人ということである。
最終章において、文章の目標を格調と気品においている。それは古典的教養によって養われるという。
「文体による現象の克服ということが文章の最後の理想であるかぎり、気品と格調はやはり文章の最後の理想となるでありましょう」
という結語は力強い。
中でも、あらゆる名文を紹介しながら、彼独特のアフォリズムの鋭さが絶品であるので、ここで少し紹介しよう。
――風俗は滑稽に見えたときおしまいであり、美は珍奇からはじまって滑稽で終る。
――自分の気に入ったものだけを取り上げて、自分で美しいと思ったものだけに筆を集中しながら、自分の気に入った言葉だけでもって、美しい花籠を編みます。
――美は人を沈黙させる
――凡庸さを美しく見せ、全体の中に溶けこますことが、小説というこのかなり大味な作業の一つの大事な要素なのであります。
――十冊の本が読めるところが、歩けば一冊の本しか読めないかもしれません。しかし歩くことによって、十冊の本では得られないものが、一冊の本から得られるのであります。
――現代では文章を味わう習慣よりも、小説を味わうと人は言います。彼の文章がいいという言葉はほとんど聞かれず、彼の小説はおもしろいと言われます。ところが文章とは小説の唯一の実質であり、言葉はあくまでも小説の唯一の材料なのであります。
――文章の味には、味わってわかりやすい味もあれば、十分に舌の訓練がないことには味わうことができない味もあります。
――もちろん水に似た味わいは、食通が最後に玩味するものでありますが、濃い葡萄酒やウィスキーに似た味わい、一例が谷崎潤一郎氏の文章の味わいも捨てられないものであります。
――
(いずれも本文から引用)