両親と青梅のかんぽの宿に泊まることになった。一年に数回は、我が家の別荘だと父親が言う通り行くことにしている。朝晩と美味しい食事が出ることが楽しみであるし、ちょっとした気分転換になるから私も嫌いではない。八王子の自宅から車で1時間もせず着くことになる。
(風呂の窓から見た景色)
(夕食、鰈の焼き物が美味しかった。ハゼの天ぷらを抹茶塩で食べたが、メチャクチャ美味い。写真には天ぷらがないけれど、別口で頼むと良い)
今回の旅行で母親の元気がない。理由は、布団だと腰が痛いからだ。母の背中は年々くの字に曲がっていく一方である。寝返りを打つたびに痛いとうめいている。
「美味しかったよ。ありがとうね。長生きできそうだよ」
という言葉も、どこか寂しそうで、先が長くないかのようで、ふと涙がこぼれそうになった。
新聞屋の巨人が、ITのソフトバンクに負けたことがショックであったのかもしれない。金にものを言わせて選手を搔き集める金満対決であった今年の日本シリーズ! 私が20年前の高校生だった頃、通勤電車で新聞を読んでいるサラリーマンを沢山見かけたけど、今は、ソフトバンクがシェアのトップを誇るスマートホンを見ている人が圧倒的だ。新聞を売るというより、コンテンツを売る時代になっている。新旧交代をこれほど示した闘いはないだろう。両親はパソコンが一切できない。病院の予約も電話でなければできないと抗議するぐらいだ。常々、アナログの人間だからと嘆いている。
日本シリーズが坂本の三振で終わり、お通夜のような部屋を後にした。1階ロビー横の休憩所で、円城塔の『エピローグ』を読む。
11月4日(月)文化の日に、私は以前、立川で会った文学好きの女性と会う。彼女の勧める本がエピローグなのだ。
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内容は支離滅裂という印象を抱いた。人工知能が人類のはるかに追い越した未来の様子を描いているというのだろうか? それを既存の言語で表すことは不可能であるのに、あえてそれに挑戦する姿勢が評価されたにすぎず、これを文学と言えるのは甚だ疑問だ。
円城塔は安部公房に憧れている。安部公房も同じ理系の作家であり、思考実験の小説といったところも同じだ。しかし、なわばり構造を克服することが言語の力で出来ないのかということ、他者との通路の回復は出来ないのかということを、オリンピックで勝てば自国の国旗があがるという国家という縄張り構造を克服するだけの力がないかということを生涯かけて文学の世界で追及した安部とは、内容に雲泥の差があると言わざるを得ない。