nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

劇団四季の『赤毛のアン』──その舞台は、カナダの美しいプリンスエドワード島。



両親を亡くし、孤児院で育った赤毛の少女アン・シャーリーが、グリーン・ゲイブルズに暮らすマリラとその兄マシューのもとへ、思いがけずやってくるところから物語は始まります。本当は「男の子」が欲しかったはずなのに、孤児院から送られてきたのは、想像力とおしゃべりで周囲を明るく彩る少女。アンの“異常なほど”の前向きさに、最初こそ戸惑うマリラでしたが、兄マシューの優しさにも後押しされ、次第にアンを家族として受け入れていきます。

馬車で家路につくシーンは、アンの陽気な歌声と、それを温かいまなざしで見つめるマシューの姿がほほえましく、彼の大きな器量と人柄が映し出される名場面です。私自身、職場にアスペルガーASD)の女性がいて、発達障害を調べるうちに「アンはもしかしたらADHDかもしれない」という見方が頭をよぎりました。もちろん、物語のアンを医学の枠組みで見る必要はありません。ただ、そうした視点で考えてみると、人の性格を「個性」として受け止めるだけでなく、適切に理解し、対策を立てるための知識にもなる――そう実感させてくれるのです。

アンは、はにかむことも知らぬ無邪気さで、夢中になって“この家の子”になろうと奮闘します。
マリラが作った洋服にパフスリーブがなくて拗ねてみたり、ギルバートという少年と張り合ったり、失敗を重ねながらも成長していくアン。その度にマシューは、気をきかせて可愛いドレスをこっそり用意したり、病を抱えながらもアンを見守ったりと、不器用ながらも深い愛情を示します。
マリラは生真面目で頑ななところがありつつも、アンのまぶしい笑顔に触れて少しずつ心を溶かしていく。その対照的な二人が織りなす“家族”のかたちは、やがて観客の胸を強く打つことになるでしょう。

そしてクライマックス。
アンは唯一の奨学金を得て、州の進学校へと進む栄誉を与えられます。ところが、マシューの体力はついに限界を迎え、息を引き取ってしまうのです。グリーン・ゲイブルズを維持できなくなったマリラは、泣く泣く家を手放す道を選ぼうとする。しかし、アンは進学を諦めてでも、この家とマリラを支えたいと決意します。その瞬間、マリラがさっと差し出す両手に、アンはまるで実の母親に抱きつくように飛び込みます。血のつながりなど関係なく、真の家族として結ばれたことを示すこの場面では、誰しも涙を禁じ得ません。

「家族とは何か、愛とは何か」
血縁より深い絆を感じさせるこの作品は、劇団四季ならではの美しい音楽やステージ演出と相まって、観客を温かい感動で包み込みます。アンの底抜けに明るい個性を、異常と見るのか、愛すべき魅力ととらえるのか。そこに私たちが普段抱く“生きづらさ”や“気遣い”という要素が絡み合うからこそ、人間の多様性が際立ち、物語は一段と鮮やかに映えるのです。

観劇後、きっとあなたは「愛とは何だろう」「家族とはどうあるべきだろう」という問いを抱き、心にぽっと灯る温もりを感じるはず。この舞台が教えてくれるのは、血のつながりを超えたところにある真の理解と優しさ。アンの笑顔とともに、グリーン・ゲイブルズの物語があなたの心を照らし出してくれることでしょう。

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