北九州市のマクドナルド店内で、中学生男女2人が突然刃物で襲われ、無残にも命を落とすという凄惨な事件が発生した。これが怨恨による計画的犯行なのか、それとも無差別で理不尽な暴力なのか――今、ネット上やメディアはその動機をめぐり大荒れの議論に包まれている。
筆者は、事件直後からこの不可解な動機について考え続けてきた。その中で浮上してきたのが、“ロスジェネ世代”、特に就職氷河期真っ只中の1998年~2004年に社会へ飛び出した層が抱える歪んだ鬱屈だ。この世代は、金融危機後の過酷な就職戦線で理不尽な挫折を味わい、社会に斬り捨てられるような絶望を抱え込んでいる。そうした背景を踏まえると、ナイフで刺し、即座に逃げ去るという冷徹さには、ただの衝動的殺意ではなく、うまくいかない社会全般への理不尽な怒りが透けて見えるようだ。
「お前らは未来があるのに、なぜ今ここで楽しげにマックで青春を謳歌しているのか?」――犯人はそうした嫉妬混じりの憤怒を胸に、中学生たちへ牙をむいた可能性がある。彼らが“無職”や“不安定雇用”の境遇にあったなら、職場での理不尽な人事、そして上下両世代に押しつぶされるような“生きづらさ”は想像に難くない。正社員として働く筆者ですら、若手優遇策の煽りで中堅層の賃金が削られ、無能な上司や配慮を求める下の世代との板挟みに苛立ちを覚えることがある。まして、経済的にも社会的にも居場所を失った者が、憤怒の吐口を求めることは不思議ではない。
だが、この極限の鬱屈は、決して罪を軽くする理由にはならない。憎しみの連鎖が、罪なき中学生たちを血に染めていいはずがない。社会問題として“就職氷河期世代”の悲哀を理解すべき一方で、犯行は厳正に裁かれるべきだ。
亡くなった女子中学生・中島咲彩さんに深い哀悼の意を表したい。ご家族の喪失感は計り知れず、どれほど神にすがっても戻らぬ命であることが痛ましい。こんな形で、理不尽な怒りが未来ある若い命を絶つ――私たちは、この底知れぬ絶望と憎悪を生む社会構造を、直視せざるを得ない。