『山羊の歌』から抜粋
作中原中也
汚れつちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまった悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまった悲しみは
たとへば狐の皮衣
汚れつちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れつちまった悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまった悲しみは
倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまった悲しみに
なすところなく日は暮れる……
――心の中の「汚れ」を見つめる詩に惹かれて
最近、心のどこかに響く詩集を手に取った。今の自分に重なるような、少し心がざわめくような感覚に包まれたのだ。
精子提供やDNAなど、まるで人間を飼育ケースに入れて観察するような文学に興味を持ってしまった自分。少しばかり「汚れた」感情が芽生え、自己嫌悪に陥ることもあったけれど、この詩を読み、少し救われた気がする。自分の中の“汚れ”に気づき、受け入れた先にある新たな自分の姿を模索するために、私はこの詩に心打たれたのかもしれない。
【人生半ば】
作ヘルダーリン
黄色い梨の実を実らせ
また野茨をいっぱいに咲かせ
土地は湖の方に傾く。
やさしい白鳥よ
接吻に酔い惚け
お前らは頭をくぐらせる
貴くも冷ややかな水の中に。
悲しいかな 時は冬
どこに花を探そう
陽の光を
地に落ちる影を?
壁は無言のまま
寒々と立ち 風の中に
風見はからからと鳴る。
この詩を読むたびに感じるのは、「冬」という言葉が示す停滞感と、未来を見失ったときの孤独だ。どこへ向かえば良いのか分からなくなる時期に、この詩は自分を見つめ直す一助となる。
【秋】
作リルケ
木の葉が落ちる 落ちる 遠くからのように
まるで大空の遠く離れた庭園が枯れたように
木の葉は嫌々ながらも落ちてくる
そして夜になると 重たい大地が
あらゆる星から 孤独のなかへ落ちてくる
わたしたちはみんな落ちる この手も落ちる
他のものも見てごらん みんな落ちていくのだ
けれども ただひとり この落下を
限りなくやさしく その両手で支えている者がある
――人生の「秋」をどう受け止めるか
リルケの詩は、何かが終わりゆく季節の象徴のように、私たちにとって避けられない「落下」を語る。しかし、最後の一節が示すように、どんな「落ちる」瞬間にも、それをそっと受け止めるものがあることを信じてみたい。人生の秋に差し掛かった今、心の支えとなるのは、もしかしたらこうした詩に込められたメッセージなのかもしれない。
詩を通して自分を見つめ直す時間は、まるで魂の浄化のような感覚を味わえるものです。時には“汚れた”自分を感じ、時には心の「秋」を受け入れる。この時期だからこそ感じることのできる詩の力を、ぜひ感じてみてください。