最近、勤務地近くのサイゼリアを訪れました。大食漢の私は、スパゲッティ、ハンバーグ、大盛りライス、小エビのサラダ、コーンスープと、盛りだくさんの注文をしました。ですが、半分ほど残してしまったのです。その理由は、予想外のものでした。
食欲を失わせた光景
お店でのウェイターの一人に、身長がとても低い男性がいました。彼は、成人男性の身長には遠く及ばない小柄な体格で、無表情のまま店内を歩き回っていました。彼の姿を目にするたび、私は次第に食欲を失っていきました。
なぜなのか自分でも分かりませんでしたが、三島由紀夫がインドで経験した話を思い出しました。彼はホテルで食事をしていた際、窓から見えるくる病の少年を目にして、食事が喉を通らなくなったそうです。私の場合も同じように、目の前の現実が私の食欲に影響を与えたのです。
共感による感情的な負担?
これは差別というよりも、共感による感情的な負担が原因だったのかもしれません。ChatGPTによると、「他人の痛みや困難に対する共感が食欲に影響を与えることがある」とのことです。私は、その男性が背負う苦しみや不便さを、自分も一緒に感じてしまったのかもしれません。
過去の経験が影響しているのか
この出来事は、私の幼少期の記憶ともリンクしているように思います。小学校の頃、知的障害のある生徒が集まる「桜4組」というクラスがありました。その子たちをバカにしていたクラスメートもいましたが、私はいつも自分のことのように感じていました。ほんの少しの違いが、人生に大きな差をもたらすという事実に、当時から心が揺さぶられていたのでしょう。
美と醜の境界
私は、美しいものに目を奪われがちな人間です。しかし、美しさというものは、醜さがあってこそ引き立つものなのかもしれません。繊細な感受性とは、陰影への鋭敏さ、つまり、ニュアンスへの愛なのではないかと自己正当化しています。それでも、あのサイゼリアにはもう行かないと決めています。
人間の本質に向き合う難しさ
商売をする上では、どうしても「人間にとって好ましい面」だけを見ていたくなります。しかし、それでは現実の一部しか捉えられません。現実には、私たちが見たくないものも存在しています。それを無視することは、隣国にいるデブで自己満足の独裁者のような考え方に通じるのではないかと感じ、少し怖くなりました。