nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

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朝礼で従業員の理想を唱和する意味を、考えたのは、今から92年前のことなんだ!

yahoo news smartnews newspicks、他、古今東西の本を開いても、皆同じことあかり言っているように思えてきて、何かわからなくなってきている。すべてが表面を変えることに過ぎず、難しい科学式を用いてロケットが出来て、人類が月や火星だけでなく、太陽系を超えて、人類の世界を拡張できたとしても、人の心の奥深くに眠るものは、容易で解決できそうにない。私の悩みは、社会をより良いものに変えよう、みんなでいい生活をしようという明るい企業家精神のあるものではなく、人間の心の奥深くにある深淵を覗きたい願望からきている。

MBA必読書50冊の中に出てくる幸之助論の中で、松下幸之助は、奈良の天理教の施設に入った時、みんながお金をもらうわけでないのに、イキイキと働いているのを見て、ピンときたとあった。お金以外に、社会貢献がしたい、よりよく人のためになる生き方がしたいというように、スピリチュアルなものを人間はもっていて、そういう気持ちで働けるような職場環境にしていかなければいけないと考えたそうだ。

それから幸之助は、毎朝、従業員に、遵奉すべき精神をまとめ、唱和させた。
「人は時に弱い本性の奴隷になるが、高い目標を掲げ毎日考えれば、人は一歩一歩それに近づき、より良い、より幸福な人間になれる」
7つの精神というものを考えた。
1、産業報国の精神 質の高い製品とサービスを適正価格で提供し、社会全体の富と幸福に寄与
2、公明正大の精神 公正と誠実を旨とし、常に先入観のない公平な判断を心がける
3、和親一致の精神 相互信頼と個人の自主性を尊重し、共通目的を実現する能力と決断力を涵養する
4、力闘向上の精神 逆行でも企業と個人の能力を向上、永続的な平和と繁栄を実現する企業使命を達成すべく努力する
5、礼節謙譲の精神 常に礼儀正しく謙虚であることを心がけ、他人の権利と要求を尊重することで環境を豊かにし、社    
         会秩序を守る
6、順応同化の精神 自然の摂理に従い、常に変転する環境条件に合わせて思想と行動を律し、あらゆる努力で徐々に、     
         着実な進歩と成功を収める
7、感謝報恩の精神 受けた恵みや親切には永遠の感謝の気持ちを持ち続け、安らかな喜びと活力をもって暮らし、真の   
         幸福の追求の過程で出会ういかなる困難をも克服する。

これを、もっと話しやすい内容にして唱和させたのかどうかはしらないけれど、スーパーで働いていると、いかに大切かが理解できる。放っておくと、近くのものを悪くばかり言うようになり、被害者意識にこりかたまり、自分勝手に行動しようとする。松下電器ほどの社員になると、レベルが高いというものあるけれど、スーパーは、何もスクリーミングされずに、沢山の人がスクリーミングされずに入社してくるので、この習慣は徹底するべきだなと感心した。

米国で企業価値宣言を初めて書いたのは、ジョンソン・エンド・ジョンソンの「我が信条」で、1940年代だから、幸之助は10年先んじていた。我が信条における内容は、ざっくり言って4点ある。第一に顧客に対する責任をおき、第二に従業員への責任、そして第三に地域社会に対する責任においている。そう考えると、朝礼で唱和している内容は、世界中、どこもあまり変わらないのだなと思える。

冒頭でお話した、何をみても、何に触れても、似たようなもので、ある特定の専門書を読んで、専門家になれば、変わるものかなと考えたり、職業に特化した本を極めるばかりに論文を出すぐらいやれば、視野が開けてくるのか、この歳で東大入試に受かるほど勉強して、脳を過度に刺激すれば、私の頭は、何か変わるのだろうか。スマホ片手に世界とつながる情報化社会、知識社会に生きていると、行動力ですべてが決まってくるともいえる。ただ行動あるのみなのか。

小説家になりたいから、仕事をやめて、小説を書きまくるとか、海辺で釣りをした人が、それを捌いてあげる仕事とか、考えた、即実行していたら、ホームレスになりそうだ。AIが出てきてから、小説も、近い将来、AIに抜かれるだろうなとも思える。すべての大脳における知的能力は、AIの独壇場になるんだろうなというのはわかる。

それにしても、スーパーを含めた小売事業は、発注にかかる時間がやたら多い。レギュラーの発注なんか、今すぐにAIに置き換えられるだろうし、いずれは、売場にAIカメラがついて、売上単品データ等のPOS情報もよみこみ、すべてAIがやることになるのは確実なのに、いつになったら、現実に、そのような環境になるのだろう。小売業のシンギュラリティ―はいつになるのか? 10年以内に、一般企業に導入できるぐらいになるのかしら……

映像の世紀(ノルマンディー上陸作戦)をみて考えること!


中国が時速400kmの列車を開発し、このまま、実用化されると、北京から上海まで2時間半でいける計算になるという。日本も、戦後、軍事開発に向かう技術を、新幹線の開発や、ラジオやテレビ等に向けたために、飛躍的に進歩を遂げ、トランジスタの商人とまで言われるようになった。今では、日本発の世界に誇れる技術が、見当たらなくなってきた。30年前の日本の会社の時価総額と現在を比べるとお寂しいばかりである。

新幹線をつくっても、土に埋めてそのままの国であると笑われていたのに、失敗は部分的成功であり、その積み重ねが、今回の成功につながっているのだろう。GDPも世界第4位になり、もう数年のうちに、インドに抜かれることになる。日本は人口動態図において、若い世代の人数が少なく、今後の展望も暗いのである。高齢者は老害だから集団自決しろと経済学者の成田が述べて問題になっていたけれど、バブル崩壊後に老舗企業が低迷した理由の最たるものに、上が詰まっているために、年功序列制の日本において、ステップアップできないという問題があった。上は明るく晴れていて、若い人が多いほど、未来は明るいのなら、何故、日本の人口は増えていかないのだろう。

世間は、経済的余裕が、ロスジェネにはないからというけれど、私は、それだけではないと考えている。それは、戦後民主主義と、そこから生じる偽善により、国の大本を忘れ、経済最優先、家庭の幸福最優先の施策を大善として打ち出していったことにある。誰も国をよくしようとするより、自分さえよければという我欲がそれによって醸成され、お金のかかる配偶者や子供を持ちたいと、あまり思えなくなったということではないか?

昨日、NHK映像の世紀プレミアム『ノルマンディー上陸作戦』をみた。この手の話は、最後は反戦の言葉で締めくくられることで、大体、あらすじが読めている。本当に、その通りの内容となり、サリンジャーの言葉で総括された。ライ麦畑でつかまえてで有名な作者ではあるけれど、生涯にわたって、ノルマンディ上陸作戦における兵役のトラウマに苦しめられたとは、知らなかった。


ノルマンディ上陸作戦に参加後、帰還したサリンジャーは、1ヶ月後に短編を発表した。第一次世界大戦の思い出を誇らし気に語る父親に、こう語りかける場面がある。

「父さん、生意気なようだけど、僕は戦争が終わったら、口を閉ざして何も語らない。それがこの戦争に参加した全員の義務だと想う。死者を英雄に祭り上げては駄目なんだ。僕らが帰還して、ヒロイズムだのゴキブリだの塹壕だの血だのと、話して書いて絵にして映画にしたら、次の世代は未来のヒトラーに従うことになるだろう。ドイツの若者がみんな暴力を軽蔑していたらヒトラーだって自分の野心をひとりで温めるしかなかったんだから」

↑戦争、英雄とされ戦後アメリカの大統領までなったアイゼンハワー夫婦である。勝てばどんな残虐であっても官軍である。

現実は、ノルマンディー海岸近辺のフランス人の家屋が爆撃で破壊され、3万5千人近くの死者を出していた。東北の津波による死者の3倍ほどであるから、大変なものであるのに、公表されたのは最近であり、サリンジャーの感性は、世の中の矛盾を、体験を通じて見抜いていた。みんなは成功を、美談に仕立て上げようとするけれど、実際、世の中のすべては、水原の賭博にあるような、グロテスクな面を見せないように配慮されている。臭いものは、すぐに蓋を被せて、わかったようなふりをするものなのだ。

この作戦の最後の生き残りとされる兵士が、昨年亡くなった。フランスのマクロン大統領が見守る中、葬儀が盛大にフランスの美的センスいっぱいに、行われた。賛否両論があろうが、周辺のフランス人が亡くなったのは、犬死ではなく、勝利への貢献であったと認める方が、遺族には、好ましいだろう。日本にある靖国神社と発想は同じということか。

上陸しに岸辺に向かう兵士達。遠くにいる兵士が次々と打たれて死んでいく。もういくしかない、これが現実なんだと考えたというが、人は誰も縛られた子羊であり、私もそこに立たされていたとしても、祖国のために死ぬしかないと思うしかないだろう。↓

首脳会談で、世界のトップスリーとして、ロシアのスターリンアメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチルであるけれど、世界一の国であったチャーチルの存在が小さくみえるほど、時代の覇権は、左のロシアとアメリカに移っているということを物語っている↓


ノルマンディーの美しい浜辺である。きっと、その頃も、こんな美しい海岸が、血に染まることになった。人は誰しも、ここで海水浴をして、幸せな人生を送りたいとしか考えないのに、ここで、誰もが望まない殺し合いをすることになった。これは、人間の問題ではなく、政治の問題ということなのかわからないけど、中国が、このまま力をつけてきたら、日本は、屈辱的扱いを受けることになる。第二のチベットになってしまっては大変だ。国を大切に想う気持ちを養っていくことが、心から少子化を変えていくことになるだろう。

イスラエルの空に描くイランからのシューティングスターは、何を意味するのか?


仕事を終えた後に、疲れがしっとりと溜まっている状況で、寝るのを我慢して、ブログを書いている。責任者になると、やはり疲れもどっと出て、読み書きする時間もとれず、ただ社畜となるだけである。このまま人生を終えたくないとしても、生活はいきなり変えようがなく、家出しようにも、両親が高齢であるから、置いていくこともできず、ただ、おかれている環境に、人間は縛られているものだと、落ち葉老人のような心境になってくるからいただけない。

前の記事にも、1個の人間は、金魚が金魚鉢にいることを知らないように、時代の影響を強く受けて存在しているに過ぎず、私が未婚であることも、この歯車が合わずに、イライラしてきた人生も、宿命によるものがほとんどなのである。川上量生が、生成AIをつくる上で、愛のことについて話していた。愛は、すなわち自己愛の延長に過ぎないという見解だ。

スマホや、彼女が好きというのも、スマホが手の延長にあるうちはいいが、離れてしまうと、喪失感が生まれる。彼女が好きというのも、一緒にいる間は、自分の所有物として認識していられるが、離れてしまうと、自分のものなのに、無くなってしまったということになる。自分のものだと思わないところに、愛はないのだという考えを述べている。独占欲に近いものなのだということで、彼は愛を述べている。

これには、異論もあり、愛の定義がいったいなんであるのか、この言葉ほど曖昧なものはない。愛という文字を、言葉の後ろにつければ、大体、体裁がよくなるし、暴力愛、信者愛、瘋癲愛、食欲愛、殺戮愛、輪姦愛、戦争愛、無駄愛、雑言愛、変体愛、無人愛と、なんでも、気違いになって書きなぐってみても、変な言葉には聞こえない。このうちの戦争愛について、イランから多くのミサイルが、イスラエルの上空を飛び交った。


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動画でみていると、夜空から沢山のミサイルが、落ちてくるのをみていて、恐怖感を覚える。動画を撮影している者の手は震えている。コメントの投稿欄には、ただただ恐ろしかったと書かれている。そのシューティングスター(流れ星)に見える光の一つ一つが、人類の叡智によって作り上げられた憎しみの連鎖を生むミサイル兵器であるのだ。自国を守るため、相手を破壊するために、作り上げた兵器が、憎しみの光を美しく描き、散っていく。

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人間は科学の成長においてとどまるところを知らない。しかし、人間としての在り方については、えらく子供じみてくる。外に拡張する力、すなわち科学の才能については、無限の可能性があるけれど、人間同士のきまりごとを守って、よりお互いを尊重し合い、豊かに、いがみ合いもなく、仲たがいもなく生きていこうということになると、あまりにも幼稚になってしまうのは何故だろうと言っていたことがあった。

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地球を滅ぼすほどの武器を持った人類が、それぞれwinwinの関係も築けず、憎しみが愛を呼び、愛が憎しみを呼び、地球の上をさまよっている。イランとイスラエルが、ロシアとウクライナが、国と国が争っている状況は、世界大戦前夜といっていいほどの危機的なことである。局地戦ではなく、力のある大国同士がやり合いだしたのだ。世界の破滅が、近づいている音が聞こえる。

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もともと2大国が、核をつくり続ける負の連鎖が理解できなかった。多額の資金を用いて、まだまだ、まだまだと、アメリカもロシアも負けじと核開発を続ける。100発ぐらいあれば、攻撃も戦略も十分なのではないのだろうか? 何故、あんなにも、札束を、暗闇に投げ続けるような真似をしなければならないのか?もう、この宇宙の原理、ブラックホールである虚無の前に、神無き時代の人類は立たされている。

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このニヒルにとりつかれた病を乗り越えるのは、核による地球の破壊か? 美による生の救済か? という場面に立たされているということである。ここに書きながら、人間は、地球を60回も壊すほどの力を手に入れたと信じている思い上がりなのかもしれない。私は、何故、イスラエルの夜空に、ミサイルが花火のように飛び交わねばならないのか? という答えを見つけられずにいる。

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経済が上手くいかなくなり、人々の生活が苦しくなると、時の権力は人々の不満が反権力に向かわないように、架空の敵を作って敵愾心を煽り、一時の求心力を得ようとする。これはいつの時代でも、権力の常套手段だが、人々の不安が閾値を超えると、非合理的な熱狂のもとに、破滅に向かって一直線に進んでしまうことが、しばしば起こるのも、歴史が我々に教える教訓の一つである。

破滅の形態の中には、集団自殺などと言ったものも含まれるが、もっとも一般的なのは国と国の戦争であろう。現・京都大学総長の山極寿一は、『ゴリラは語る』(講談社)と題する子供向けの著書の中で、戦争の原因として「所有」、「言葉」、「アイデンティティ」、「過剰な愛」の4つを挙げている。

私はかつて、この山極の説を簡単に解説したことがあるが、ここでは少し詳しく思ったところを述べてみたい。まず「所有」。これはよくわかる。農耕を始める前の狩猟採集生活の時代には、人々が所有している財はほとんどなかったので、集団の存亡をかけた戦争はまず起こらなかったと考えられる。農耕を始めて、貯蔵している穀物の量や耕地の面積が大きくなれば、これらを強奪するために武力に勝る集団が戦争を仕掛けるようになったのは、ありそうなことだ。人間以外の霊長類は、現在手にしている物以外に所有している財はないので、個体間の、食べ物や性的パートナーの取り合いをめぐる争いはあるにしても、集団間の大規模な戦争はない。

特に重要なのは、土地の所有という概念である。狩猟採集民には、縄張りという概念はあっても、土地の所有という概念は希薄であったろう。獲物がよくとれる草原、魚が沢山いる川、果物が豊富な森は、利用すべき重要な土地だとは思っていても、自分たちの所有物だとは思っていなかったに違いない。農耕や家畜の飼育が土地と強く結びつくことによって、土地は死守すべき重要な財となったのだ。さらに、化石燃料をはじめとする地下資源が、産業の発展にとって極めて重要な財だということが認識されて以来、土地は最も重要な財になったといってよい。国家間の戦争の原因の多くは資源の争奪か、それに伴う領土争いだということからもそれがわかる。

次いで、「言葉」と「アイデンティティ」は後回しにして、「過剰な愛」について。人間ほど「過剰な愛」を持っている動物はいない。愛する者を殺された人の心に芽生えるのは復讐心である。ライオンの群れ(プライドと呼ばれる)は、1頭から数頭の成熟オス、10頭前後のメスと幼獣からなるが、成熟オスが老いぼれてくると、若いオスに群れを乗っ取られてしまう。群れを乗っ取ったオスはまず、群れの幼獣を皆殺しにする。メスは子供を産んだ後、2年間は発情しないため、幼獣がいると、乗っ取ったオスはその間自分の子を作れないのだ。幼獣を殺されたメスは、しばらくすると発情し、自分の子供を殺したオスと交尾して、110日後には通常4頭の赤ちゃんを産むのである。ライオンには愛する子供を殺された後に復讐心は生じないようだ。というよりも人間と同じような「愛する」という感情はないのかもしれない。

しかし、人間は違う。愛する者を殺された人は時に復讐の鬼と化し、場合によっては自分の命と引き換えに、復讐を遂げようとする。アメリカがいくらIS(イスラム国)を掃討しようとしても、イスラム教徒を皆殺しにしない限り、テロはなくならないだろう。愛する者を殺された人の復讐心を消すことは不可能だからだ。テロで殺された人の家族もまたテロ組織を憎み、かくして復讐のスパイラルは回り続ける。この悪循環を断ち切るのは、強者の寛容以外にはないのだが、権力は人々の復讐心を権力への求心力に変えて、政権を維持しようとすることが多く、テロの後には必ず、報復という話になり、テロはさらに拡大再生産されることになる。

最後に「言葉」と「アイデンティティ」について考えよう。この二つは密接に関係している。「言葉」は不可避的に「同一性(アイデンティティ)」を孕むからである。山極は「アイデンティティ」を帰属意識だと考えているようだ。自分は特定の集団に属しているという意識である。家族への愛は、敷衍されて帰属している集団への愛に代わり、最後は愛国心という話になる。大相撲で郷土力士を応援するのも、高校野球で母校を応援するのも、オリンピックで自国の選手を応援するのも「アイデンティティ」のなせるわざというわけだ。

帰属している集団があることは帰属していない集団もあるわけで、帰属集団への愛は、時に帰属していない集団に対する憎しみに変化しやすいのだろうか。対立している他集団へのコンプレックスが強いとき、他集団への憎しみは集団ヒステリーのようになって、国を挙げて戦争に突き進む原因となることも多いのは、先の第二次世界大戦の始まる前から敗戦までの、日本の状況を考えればよく分かる。鬼畜米英と叫んで、敵への憎悪と戦争に勝ちたい願望が頭を占拠して、現実が全く見えなくなってしまったのだ。

山極の洞察で一番鋭いのは「言葉」が戦争の原因だと指摘したことだ。言葉がなければ、概念もなく、したがって国家などと言う実在しない概念を守ろうなどと考える人もいなかったろう。個々の個物としてのイヌは現象として実在するが、イヌ一般は実在しない概念なのだ。個々のがん患者は実在するし、個々の病状も実在する現象であるが、「がん」という名で表される概念は実在しないのである。

アリストテレスは『命題論』で「名称は約束によって意味を持つ音声で、時を含まない」と述べた。この物言いは真に正しいと思われる。名は常に不変の同一性を孕むのである。しかし、すべての現象は不変ではありえず、したがって不変の同一性を孕む名によって表される概念もまた実在しない。残念ながら、このことを理解している人は多くない。もしかしたら、これこそが究極の戦争の原因かもしれない。

イランからはるばるイスラエルの空に届いたミサイルの群れは、花火のような、人間の言葉による産物であるということか? 名は常に不変の同一性を孕むのである。しかし、すべての現象は不変ではありえず、したがって不変の同一性を孕む名によって表される概念もまた実在しない。一切が過ぎていく世界で、名によって表される概念も実在しない虚無の表現であったと言えるだろう。

青梅亀の井ホテル 料理長江田輝美の意地!

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青梅の桜は、まだ咲いているようだ。1968年4月13日に、ここ青梅の愛宕神社の桜の前で、三島由紀夫は、楯の会の制服が出来た記念に撮影をするためにきた。今から56年前に、三島の思いは、ここ青梅を目指していた。

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青梅は、東京都で戦災を免れた物静かな街である。日本の魂を護る場所であると縁起をかついでいたところもあるのだろう。急な階段を登って、愛宕神社のお参りするところから振り返ると、昔は、遠く川を挟んだ向かい側に愛宕神社があったということだ。

 

吉川英治記念館の愛宕神社へ花見にいく予定であったが、母親が、前回は猿がいるかもしれないし、今回は、熊が出るかもしれないと、乗り気ではない。腰が海老にように丸まってきて、身体に痛みやしびれが生じ始めると、気力も低下するものだ。この頃、小さなことでも不満をあらわにするようになった。歳をとっても、背筋がまっすぐな人もいるのに、どうしてだろう。60歳過ぎた頃から、少し、猫背になったのを知ったけれど、それから、稲穂が実ほど垂れるように、ゆっくり時間をかけて、丸まっていった。私は心配でしょうがないけれど、どうすることもできない。

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幼い頃、団地住まいだった私は、隣の家のおばあちゃんが、地面に身体がつくほど、前かがみで、歩くのもやっとであった。将来、歳をとると、身体に不自由するものだと知った。釈尊が、門を出るたびに、老いているもの、死んであるもの、病気でいるものをみて、人生について悩んでいたとあるが、もし、王様の跡継ぎ息子のように、酒池肉林の生活をしていたら、いつか失う日のために、恐怖感が湧いてくるのは理解できる。私もドアを開けてすぐ、そのおばあちゃんが目の前を通り過ぎていった。こんなことを記憶しているなんて、きっと、天国にいる隣の家のおばあちゃんは、知るよしもない。今考えると、江戸時代の日本の風土というものを知る貴重な人であった。話しかけても、もう普通に聞き分けられるかもわからない様子でもあったし、でも、今になって、なぜか懐かしい。

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青梅亀の井ホテルのことは、ブログで以前書いたことがあり、料理を楽しみにしていたのにということで、否定的なコメントを残していた。今回は、大分、リニューアルをされていて、メニューは下記のものとなる。随分と、味と見た目を追求していて、その変化に驚かされた。ご飯が有料であることは変わらないけれど、魚を中心とした献立となっている。顔を上げて、料理を食べる客を見ていても、ほとんどが、高齢の方達ばかりである。以前のかんぽの宿の方が、大判振る舞いといった感じであるが、鍋には、肉が沢山入っていて、肉が苦手な父親は、皆、私に渡してきた。

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メバチ鮪もカンパチも最上等なもので、鮮度抜群である。驚いたのは、青梅のワサビは東京都下で有名であるが、べっとりつけて食べても、ほのかな風味があるだけで、鼻をさす辛さはない。朝日スーパードライも、キンキンに冷えていて、何杯でもごぶごぶ飲める勢いだ。

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茶椀蒸しはシンプルなもので、中に海老や帆立等の具が入っていないことで、本来の味わいを楽しめる。つくり側としては、その分、逃げられないのであって、料理長江田のプライドを感じる。天ぷらは、別に頼んだもので、どれもサクッと噛む間に、じわぁっと口にとろけていくようにうまい。このレンゲにのった塩が、実に合う。

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この肉団子も、いわしと魚介の使用で、胃に優しい。メカジキが、血合いの部分と肉の部分でくっついてある。魚屋の私であるが、どういう切り方をしたのか気になるところだ。この旬野菜の色合いも食欲をそそる。ゴマ豆乳仕立であり、残ったスープもすべて飲み干した。

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メバル木の芽味噌焼きも、淡泊な味わいに、コクがあって、実にテンションが上がる。口にふわっととける美味しさは、時に、物足りなさを覚えるものだが、このどぎつい木の芽色がそうはさせない。焼き芋とレンコンによるシナジーが形成され、この1枚の皿による世界に、この青梅にこられる客との意思疎通を図る挑戦が、ぎっしりつまっている。そう考えると、何かを理解しようと思ったら、遠くを探すなということだ。

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料理の終盤では、海老新丈変わり揚げという揚げ物が出てくる。これが、噛む度に、油の良質な味わいが、込み上げてきて、簡単に飲み込ませてくれない。玉ねぎのような苦みも、少し舌先をかすめるので、酒がどんどん進んでいく。

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コーヒープリンと蕎麦茶で、納得の懐石料理であった。確かに、口コミでみられるように、天ぷらを単品でとらなければ、ちょっと少ないかもしれない。四十路に入り、私も、小食になってきたのかもしれぬ。前は、2時間ぐらい、苦しくなって寝ていることもあった。京都柊や旅館の仲居さんから、食べ放題にいけるんちゃいますと言われたこともある。

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夜鳴き蕎麦は、見た目ほど辛くはない。けど、何度か喉に刺激があって咳をした。旅館で働く人も少なくなり、活気がない印象は受ける。夜中の10時になっても、ゲームコーナーで麻雀をして楽しんでいた人、喫茶店でカラオケをしていて、初対面の宿泊客同士で歌をうたい、上手いと拍手をし合って楽しんだこともあった。すべては、風と共に去りぬというのだろう。でも、その限られたリソースを、多くの宿泊客が望むところに、集中させ、この青梅のホテルを、低価格のまま蘇らせた手腕は、尊敬できるものだ。

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亀の井饅頭が美味しいから、レジで買うために、クレジットカードの有無等を尋ねた時、当初、レジのおばさんの態度はぞんざいな印象を受けた。しかし、それをリカバリーするべく、卑屈な笑顔を浮かべて、彼女にとって最大限の誠意というものに変わった。きっと、クレームやアンケートの結果で、評価が下がる仕組みがそこにあるのかもしれない。

 

両親が、歳をとったことで、また来られるかわからない。温暖化が進み、毎年、夏は、殺人的な暑さになっている。死亡者も、うなぎのぼりだ。もう今年の夏は越せないかもしれないと、両親は弱気だ。最近の異常気象が、SDGSを皆が意識する動機になっているのは事実である。そうでなければ、私達が生きている間だけよければいいと考えるのが、ひどいけど、人間の本性ではあるのだから……

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以前書いた青梅の記事↓

 

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坂根千里が、スナック水中にかける!一橋大学社会学部を卒業してまで!

コロナ禍で、廃業や倒産をよぎなくされたスナックやバーの事例は多すぎるため、数値で何件とでるだけで、実に残酷なものだと感じていた。中小企業の会社に勤めていたとき、近くのバーのママが、会社にパートできていて、会社のものを盗んだことで首になり、数ヶ月後に飛び降り自殺をしたことがあった。実に、愛想のいいひとで、今思えば、彼女の表情に世間ずれによる疲労を読み取ることもできる。

盗んでいることが、防犯カメラにしっかりと写っていて、店長が彼女を掴まえた。言い訳はすることなく、後日、返金すると、すべて正直に話したそうだ。彼女が死んだと知った時、もうこの世の中にはいないということはなんとなくわかったが、また、どこかで彼女に似た人が現れるにちがいないと変な気持ちになったことがある。

今回、ご紹介するのは、東大の経済学部と言われる一橋大学を卒業して、なんと、斜陽といわれるスナックで、100店舗拡大を目論むという話なのだ。下記の写真を見ていただくと、色気はあるものの特別に綺麗というわけではない。枕営業に応じるのか? というエロ親父にとって感興は湧きそうな奥深さがある。才知というもの、下心を理解してくれる安心感とでもいうのか、微笑みには、何か意味深なものがある。手を握っても、適度にあしらってくれる安心感だ。

坂根千里さんが、成功していると言われているスナックは、東京都国立市の谷保近くにある「スナック水中」である。写真をみても、ニット系のボディラインがあらわな黒い服をきて、男性に満面の卑屈な笑みで酒を渡している。スナックの儲けは、なんだかんだいって場所代が含まれて、値段が高くついていて、あまり健全な環境ではないのだが、週刊誌で紹介される時には、たくみな印象操作が働き、清楚な雰囲気すら帯びるからいただけない。グラスを渡される時に、男が手を添えたら、どんな顔をするのか?なんて考えるだけで、私も立派にエロい。

実は彼女は、大学時代に遊び人で、結構な体験人数ではないかと予想する。本人に回答をいただけたら嬉しいが、こんなブログに書き込むほど、暇ではないのだろうな。こんなHなコメントを残している。

「衝撃でしたね。初対面のお客さんがいきなり会話に割り込んできたり、デュエットを誘ってきたり。離婚話を替え歌にして歌っている人もいました。これまで経験したことがない空間に驚きもしたけど、一気に人との距離が縮まる体験に、なんだか心も軽くなる。最高だなって思えたんです。」

戸惑いつつも場に溶け込む坂根さんに興味を示すママから、その日のうちにバー「せつこ」でのアルバイトに誘われた。「まさか初めて入ったスナックで働くことになるとは思いもしませんでした。お店に立つと本当にいろいろな人に出会います。でもみなさん品のいい方ばかりで、せつこママにも守られて、イヤな思いはあまりしませんでした」

ここでいう、あまりイヤな思いはあまりしませんでしたということは、少しはあったということだろう。中年のストレスに侵されたエロ男に、酒が入ると、どんなことをするか想像がつくし、それを解放させることで、収益を発生させる店に、綺麗ごとはないだろう。

1年後、坂根さんは高齢のため引退するママから「店を継いでほしい」と相談された。葛藤の末、「自分が救われた場所を残したい」とバトンを受け継ぐことになった。

私の上司にも、居酒屋を1000万円の借金をして、事業を継承した男性がいる。酒と寿司のコラボで商売をしていたが、1年ももたずに潰れてしまった。借金とりから逃げるべく、沖縄にいるという噂である。もともとは、懇意にしていた居酒屋の主人から持ち掛けられた話であった。これは、詐欺じゃないかと直観したが、立地条件も悪く、集客に限りがあり、散々な目にあって、倒産である。金が絡んでくることは、誰も信頼できない。人は、たった数万円でも、人格すら変えてみせることがある。お金は、人を変えるのだ。女は金で買えると、ホリエモンが言っていたけど、そんな姿を沢山見てきたのだろう。

しかし、坂根千里は、改装し、2年で売上は1.6倍にしたそうだ。さすが、一橋の頭脳だ。お金になるのは、なんらかの知能なのだ。半地下に沈み、場に漂い、明日へ向かって再浮上するという思いをこめて、「スナック水中」と名づけたそうだ。えっと思ったけど、看板が実にしゃれている。このイメージから、名前が浮かんだというのが、出色なところだろう。

「女性ひとりでも入りやすいようい、店内の様子が見えるガラス扉にしました。焼酎水割りしかなかったメニューは、地元のクラフトビールやジンを取り揃え、スタッフには男性も採用しています」
スナック水中はバーのような瀟洒な店内で、若い世代も入りやすい。ママを中心に常連客も新規客も会話が弾む。

この女性客に目をつけたところが、逆説的で素晴らしい。スナックというありふれた業態が、一気にブルーオーシャンに見えてくる。しかし、昨年11月から彼女は産休に入ったそうで、裏方に回っているそうだ。新店舗もオープンさせ、ママを2交代制にして、チェーンストア展開も視野に入れているという。スナックはファンビジネスの側面もあり不安だそうだ。

実に多店舗展開は危険であるけど、一橋と聞くと、成功しそうな気もする。実際、行ってみようかと思うけれど、ママがいないので今はやめておこうかとも思う。妊娠して産休とは、随分とノンキであるけれど、それも、ファンをつける要因なのかもしれないし、ロスジェネ世代の無理をする働き方が当たり前の間隔は過去のものとして、現在を見ていかないといけないのかもしれない。

水中にいて酒に酔ったようなふらふらした文章になってしまった。坂根千里に会える日を楽しみに!

吉原『満す美寿司』(ますみ寿司)江戸前の老舗と、ナマ渥美清をじかに感じる!


この方が、寿司を握ってくれる店主であり、もうこの代で店をたたむそうだ。とても、気さくで威勢のよい職人さんである。寿司職人の世界にいって、できずに私の働く会社にきて、魚をさばいているものがいた。握りまではやらしてくれずに挫折したとあるから、職人の世界は厳しいのだろう。
この店主は、せがれとあって、仕事先は約束されているようなものだから、職人社会の過酷さを身をもって体験してはいないかもしれないが、やはり、江戸の寿司職人を思わせる身のこなしや、粋な姿は、人間国宝という言葉が思いつくほどだ。
隣で、50年来、この寿司屋に通っている男性がきていて、福岡から上京してきた当時は、寿司を食べたことなんか、いなり寿司ぐらいしかなくて、こんな贅沢なことをしていいのかなというぐらいだったのが、かれこれ50年、この店に通わせてもらっているとしみじみ話していた。渥美清の話になって、まだ、寅さんとしてデビューする前から、この寿司屋に通っていたけど、親父が亡くなった後に、兄も、古今亭志ん朝も、渥美清も若くして死んじまったなぁと店主が下を向いて呟く姿が、まさに江戸の生き証人みたいである。この切なさが、粋なのだ。
浅草6区にデパートがあった当時の賑わいを、2人が話していて、三島由紀夫の『百万円煎餅』の舞台であるから、興味深く質問をした。店主の友人に、自衛隊員がいるらしく、市谷駐屯地の三島の演説は、何を話しているのか全く聞こえなかったそうだ。ヘリコプターの音にかきけされ、身振り手振りだけが、目に映るのみだったそうだ。
客できている70歳の男性、寿司を食べることが夢だと語った男性は、当時高校生で、教室に行くと、三島が腹を切った騒いでいたというから、やはり全国区のネームバリューは当時からあったと知ることができた。

店主の父親が、吉原遊郭の中で、商売をしていたらしく、遊郭廃止に伴い、現在の場所に移転した。その際、建築家は、吉原の当時を忘れないような建造物にしたいと、内装まで、当時の吉原建築を模したものにしてあるということだ。畳と土間と畳の間にガラス板のようなものが挟まっているとみられるが、これが、吉原建築の名残りである。

皿に置かずに、目の前の板においていく。衛生的に最初は抵抗があった。しかし、慣れてくると、江戸前とはこういうものだと、タイムスリップした気分になる。

先ほど、ソープランドを出た後に見た景色。あの塔は、美しくなり損ねている。だから芸術ではない。


話は戻ってますみ寿司。

若かりし頃の渥美清。威勢のいい寅さんがいる。テレビと実際もあまり変わらないとのこと。住んでいる場所は、口外せず、タクシーで帰る時も、途中で降ろしてもらい、居場所を特定させない努力は目立っていたとのこと。

ねじり鉢巻きをしているのは、現在の店主の若い頃、隣は、古今亭志ん朝の超絶若い頃。

これぞ吉原遊郭。この板は、吉原の店にあったもの!

店を後にすると、パイアグラの副作用がきて、頭痛がする。前に、白人の若い男性4人がスマホを片手に東京の街を練り歩いている。何か興奮しているようだ。私も海外旅行をしたいけど、本当に仲の良い友人はいないし、1人旅になると、孤独感が増してきて等、悩んでくるのも、パイアグラの副作用かもしれぬ。
若くして早く逝ったなぁと呟いた店主の姿が頭をよぎる。私の両親は年々活力を失ってきているし、独りぼっちになった時に、私にどんな心境の変化が訪れるのか? 私はどう生きていけばいいのだろう!
ちなみに、ソープ嬢yotuberもこの店を取材にきたとか↓


吉原遊郭に貧しい農村から売られてきた娘を見てきた時代の人、店主の親父である↓

パイアグラも、効き目は十分!吉原ルピナスで安心の2回戦でも、世界の闇は紅麹にように存在する!


死亡の通知を皆で共有する村社会!下町の風土!

吉原ルピナスに2度目に入店した。素人が売りとした店で、前回は、ランカーの桜子さんにお世話になった。今回は、誰か? それは言えない。いや、正しくは、こんなところに書いていいことではないだろう。
サービスを受ける1時間前に、パイアグラのジェネリック100mgを、1粒のんでからここにきた。待合室で、アルバムをみていると、やはり下腹部に張りがでてきた。少しの性的刺激で、興奮が強まってくるのは何故だろう。先ほどの医師に言われた現象が、私の体内で、たった青い1粒のために、起きているとしたら、製薬は恐ろしい。紅麹一つであれだけ大騒ぎになっているけど、パイアグラで死んだとしても、入院したとしても、多くの世論は、自業自得であるというだろう。

1週間のオナ禁と、亜鉛サプリを飲んできたことと、パイアグラが効いてきて、男としての自信が、待合室で湧いてきた。これは、絶対にいけるという確信である。呼ばれて、お会いすると、ちょっと首を傾げてしまうことに。彼女をAさんということにしよう。綺麗であるが、目にクマがあって、少々暗いのである。この出会いの直観は正しかったことが、後でわかった。

すぐにキスを初めて、私は薬が作用して、ずっと下腹部が、異常な張りを示している。そして、不思議なことに、挿入してからも、自ら射精をコントロールできるぐらいに元気であるから、すぐに逝くことはなかった。コンドームをAさんがつけようとして、何度もてこずり、結果的に大サイズではないとダメだと無理が生じた際も、中折れすることなく、毅然と不吉な仏像のように立っていた。

射精の後に、賢者モードになるのかと心配していた通り、やはり当初はぐったりとした賢者になってしまった。彼女は、すぐ身体を密着させ、話をしてくる。賢者から回復できたのは、10分ぐらいしてからだろう。しかし、Aさんは、ずっと話していて、このまま、時間までもってこようとしているのかと心配になるほどだった。しかし、話の内容が衝撃である。やはりソープランドで働く女性は、過酷なバックグラウンドがあるものだ。そして、一度、地獄を見たものだというのも本当だ。

親とうまくいっていない話になり、両親の話を振ると、どうなっているか知らないということだ。縁を完全に切っているから、興味すらないと。裁判所で出会った両親の間に生まれた彼女は、幼い頃から、たびたびの暴力を受けて育った。そして、手の甲にも、耳の裏にも、傷痕が残っている。身体と心に消えない傷があるのに、彼女はずっと明るいので、そのコントラストが胸に迫ってくるのである。

最初は、それが当たり前だと思っていたら、小学校に入って、同級生の話を聞いているうちに、彼女だけが違うと知ったそうだ。顔に青たんをつくって登校した日、先生から対応すると泣きながら話を持ち掛けられたけど、笑顔で断って帰ったこともあった。後でやられるに違いないと知っていたから、そっちの方が怖いと考える小学生がいると思うとぞっとする。小学校3年生の頃、いつになったら家を出られるかを考えて、何年ここにいなければいけないのかを思って、1人泣いていた話。アザをいくつつくっても耐えなければいけないなんて馬鹿げている。毒親という言葉では足りないものがある。親ガチャで人生が決まるのは間違えている。

母親は30代になって、出産を焦っていたそうで、父親は、仕事先の出世において結婚が必須条件のため、愛のない結婚から産まれ子が彼女だと納得していた。裁判所勤務で、外見は凄く良くて、友達はみんなお前のところの両親はいいだろうと取り合ってくれず、誰もわかってくれないというのを身に染みて育ってきた彼女は、やはり、同情して寄り添ってくれる彼氏ができたけれど、喧嘩して別れたそうだ。特殊な生い立ちの者は、人並みの人生を送るのは難しい。
クリエーティブな方面で活路を見出すしかないだろう。

話をうかがっているうちに、希望の光が差し込んでいるように思えた。この薄暗いベッドの上に、神の発する木漏れ日の薄い光がおりてきているようであった。彼女はアパレル関係のベンチャーで働いていて、ゆくゆくは起業を視野に働いている。15連勤もざらで、お客様から問い合わせがあると、休みでも、会いたいという気持ちになるそうだ。頭の回りもいいAさんだから、スタートアップでも頑張って欲しい。いけるんじゃないかと思える。

お願いするのも気がひけるが、2回目のセックスもすぐに逝くことができた。射精をコントロールできる万能感が、再度、私の身体に訪れ、パイアグラ(薬物)の強さを、再確認できた。

親ガチャで人生が決められるなんて理不尽だから、もう親ではなく、すべて生まれたと同時に、AIセンターのようなところに預けられて、教育を受けていくようにできたらいいと私は話した。すべての児童がそうであれば、不満は生じないだろうという究極の人生論、ホリエモンの上をいく、合理的未来論になるけど、彼女は、同意してくれた。好きな映画は何? と聞いてみると、ジブリとか、アニメの答えが返ってくる。私は、やはりと思った。

以前、渋谷で『サラ・偽りの微笑み』の児童虐待の映画を観たけど、実際、虐待を受けた者は、あんなもの嘘くさくて見ていられないだろうと感じたことがあったからだ。最後は、お涙頂戴もののような構成に嫌悪を抱くかもしれないと尋ねると、全くそうの通りということだ。現実は、あまりにも即物的で、世の中のほとんどが、理想からほど遠く、物語もないのが現実だから、人間は最後の言い逃れに神を用いるように、物語を必要としているに過ぎないのかもしれない。

もう一度、会いに行くと、間違いなく恋に落ちるから、もう会えない。ありがとう! そして、さようなら!

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阪神タイガース・プロ野球・スポーツ