nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

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時代を先取る起業の精神!孫正義とジョブズ!

最近、孫正義の実像に関する記事に触れる機会が多くなった。私が起業したいと夢を見て、アントレプレナーベンチャー、スタートアップといったことに興味を持ち、gogleで検索する機会が多くなって、レコメンド機能が働いているというのがあるからだろう。ニュースアプリに表示されるニュースが、自分に興味ある比率が増えてくる構図は、まるで、ネットの世界が、意識の延長、大脳の延長作用が生じている気分だ。

中卒で働いていた近藤氏は、孫正義から突然電話がきて、会いたいという連絡がきたそうだ。当時から世界の孫正義という絶大な名声を誇っていたから、驚いたそうだ。彼の言うところによると、「最初はみんな孫正義のあのスケールと、あの志と、あのトークにやられるんです。それで惚れこむわけです。さらにこれで俺の人生が変わると勘違いしちゃうんです。」

それでも、結果が出ないと、バッサバッサと切られていくという。1番には優しいけど、2番手以降の人は大変であった。孫正義という人間は、アナログの心を持ったデジタル人間で、要するに左脳も右脳もよく働く。数字に強いのと同時に、お茶目な部分がある。そこがサン正義の魅力であるけれど、あれほど、人に対してドライな判断はできないと話している。

営業の仕事もそうだけど、クリエイティブな仕事はもっと、その人の能力次第であって、つかえない人は切っていくというのは納得である。圧倒的ナンバー1でなければ意味がないというほどの孫正義の行ってきた仕事のほとんどは、投資なのであって、スマホで有名であるけれど、それも、ジョブズに直談判して、日本における独占販売を交渉しに、孫が渡米し、ネット通信の地盤があればという条件付で帰国した際のやり取りである。↓

近藤 孫さんが日本テレコムを買収した2004年当時のことです。それがいまいちうまくいってなかった。Yahoo! BBはある程度軌道に乗っていたので、今度は買収した日本テレコムのサービスを普及させるために僕にネクシーズをもっと拡大しろと言ってきたわけですよ。営業力があるから。僕は孫さんにこう言いました。孫さんは、人を切れるけど、僕は切れないと。もしYahoo! BBの拡販が終わったら、僕は社員を食わしていく仕事がないと。孫さんは、「近藤君、君は信じる力が足らん」と。「これからもっとすごいことなっていくんだ」と言われた。

 井上 先ほど言ったように、孫さんは人を切らないですけどね。孫さんから「信じる力が足らん」と言われた?

 近藤 そうです。それでアルバイトを中心に人を増やしたんですよ、正社員では怖いから。従業員が5000人ぐらいまで増えたんですね。ところが、日本テレコムがダメになって、孫さんが「近藤君、縮小だ」というわけです。それで僕はキレたわけですよ。ふざけんといてくださいと。

 井上 正確には、日本テレコム関連事業がですね。「ふざけんといてください」と孫さんに言ったんですか?

 近藤 言いました。そこで「何を言っちゃってんですか」みたいな話になったわけです。めっちゃ腹立ってて、「僕も切り捨てられるんだ」みたいなのがあって、それで僕はNTTに行ったんです。NTTのお偉いさんに会って、僕はもしかしたらソフトバンクから離れる可能性があると。そのときは、NTTは僕の営業力を必要としますかという話をした。

 井上 すごいですね。

 近藤 それぐらい腹立ってたんです。だけど本音では、孫さんに「近藤がヤバいぞ」と思わせたかったんですよ。

 井上 なるほどね。

 近藤 僕もNTTとは組みたくないですよ。

 井上 一つ勝負に出たんですね。

 近藤 そしたら孫さんから連絡がきて、「待て、何を血迷っとるんだ」と。

 井上 おもしろいですね。


このやり取りの中で、当時の孫正義が放った、これからもっと凄いことになっていくんだという一言は、恐ろしい。iphoneの独占販売を行うために、部下の学歴も気にせず、必死に動いている孫がそこにいる。早く、この通信網を達成しないと、ジョブズから販売の承諾が得られないから焦っていたのだろう。バッサバッサ切っていくというのは、まるで未来の見えるジョブズと同じだ。

織田信長がドライに政策を推し進めていって、天下統一したように、上に立つものは、アナログとデジタルの2つがすぐれていて、人を切るだけの非情さを持ち合わせていないといけないのだろう。高校野球で常勝軍団といわれた常総学院野球部の木内幸男監督は、勝つために、何がベストかを考えて、選手のメンバーを決めることを徹底していた。情にとらわれると勝てないと、そればかりを口にしていた。
 
スポーツは、勝敗がはっきりしているから、ひと昔前の中日黄金期を築いた落合監督の采配も、完全試合を前にピッチャーを抑えに変えたり、優勝した翌年に、多くの選手を首にしたり、大ナタを振るっていた。カルロスゴーンも同じく、大胆なリストラを敢行し、日産を再び軌道に乗せた。日本国に貢献したと2004年に、国から紫綬褒章を受けている。やはり、金を合法的に稼げば、人格なんか関係ないものだ。

下記には、安部首相が、中東に商売の種をまくべく行動した軌跡が、ツイッターの写真でみつかった。欧米が商売できない中東で、唯一といっていいほど商売できる日本のために、一生懸命、種をまいた自民党が、今回の、イスラエルパレスチナ問題で、立場を鮮明にできないのは、至極、当たり前のことなんだ。

5万円払って受けている小説家養成通信講座の第2課題の添削が返ってきた!

第2課題↓
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応用編の課題『昔話の結末を書き換えよう(原稿用紙 3 枚)』を、お送りいただきありがとうございます。nyoraikunさんの作品『ヘンゼルとグレーテル』を拝読いたしました。展開の意外さとブラックさがやわらかな文章で書かれていて、かえって恐怖が増していました。人間の心の深淵を抉るタイプの恐怖は、やわらかな文章で書くほうが効果的だというのを、nyoraikunさんは無意識に心得ていたのでしょう。これも才能の一種だと思います。

第 1 回の課題と同様に、nyoraikunさんの文章もアイデアもとてもいいのですが、細かな設定や状況が書かれていないのが残念でした。既存の『ヘンゼルとグレーテル』は皆が知っている童話なので、今さら説明せずとも誰もがあらすじを知っています。しかし第 1 回の時にお伝えしたように「書き換える」というのはつまり、nyoraikunさん独自の『ヘンゼルとグレーテル』にするということです。なので、読者はnyoraikunさんの『ヘンゼルとグレーテル』を初めて読むわけです。つまり設定や状況をさりげなく説明する必要があります。原稿用紙 3 枚でこれをやるのはなかなか厳しいのですが、さりげなく、でいいので冒頭で説明を加えるといいと思います(ヘンゼルとグレーテルの兄妹はなぜ森をさまよっているのか、という点ですね)。

特に今作の 1 行目「ひとのいいカモはそのとおりにしてくれました。」というのはかなり唐突で、読者にはわかりにくいのです。「ひとのいいカモ」とは人間のことなのか(あまりいい表現ではありませんが、他人様のことをカモと言う場合もありますよね)、それとも鴨のことなのか、「そのとおり」の「その」は何を指すのか、1 行目にこの一文がきてしまうと、読者には何のことかわからなくなってしまうのです。小説の冒頭はかなり大切です。

1 行目で読み捨てる読者もいますので(厳しいですが、これが現実です)、特に注意してください。
とはいえ、今作はうまくまとめられていると思います。ブラックなりの「めでたしめでたし」な結末で、教訓が含まれた童話としても完成度は高いです。ただ、前述したようになぜヘンゼルとグレーテルがこのような状況下にあるのか、という事情が抜け落ちているので(既存の『ヘンゼルとグレーテル』を知っていたとしても)、どうしても臨場感が足りない
のです。ラスト、「ヘンゼルが前かけをゆすると…」とありますが、ヘンゼルは前かけをしていたんですね。一般的に前かけをするのは女性(女の子)というイメージですが、ヘンゼルは男の子です。いいえ、男の子が前かけをしてもいいのですが、ここでいきなり前かけが登場するのが唐突だと申し上げているのです。

冒頭そしてラスト、読者にとって唐突だという箇所がふたつ出てきました。作者であるnyoraikunさんにとっては何が唐突なのか、もしかしたら疑問に思うかもしれません。しかしこういった読者と作者の意思疎通がうまくいかない事象はよく起こるのです。作者は当然、小説の世界をすべて把握していますが、読者はまったく把握していません。小説は漫画や映画やテレビドラマのように、わかりやすい絵や映像がないのです。

文章だけで情景を想像できるように、読者を導かねばならないのです。これを解決するには推敲を重ねるしかないのですが、ただ漠然と推敲するのではなく、一度書き上げたら 1 週間なり 10 日寝かせて、まっさらな目で読んでみる、というのを繰り返してみてください。読者の立場で読めるようになると思います。
第 3 回の課題も楽しみにしております

映像の世紀(ノルマンディー上陸作戦)をみて考えること!


中国が時速400kmの列車を開発し、このまま、実用化されると、北京から上海まで2時間半でいける計算になるという。日本も、戦後、軍事開発に向かう技術を、新幹線の開発や、ラジオやテレビ等に向けたために、飛躍的に進歩を遂げ、トランジスタの商人とまで言われるようになった。今では、日本発の世界に誇れる技術が、見当たらなくなってきた。30年前の日本の会社の時価総額と現在を比べるとお寂しいばかりである。

新幹線をつくっても、土に埋めてそのままの国であると笑われていたのに、失敗は部分的成功であり、その積み重ねが、今回の成功につながっているのだろう。GDPも世界第4位になり、もう数年のうちに、インドに抜かれることになる。日本は人口動態図において、若い世代の人数が少なく、今後の展望も暗いのである。高齢者は老害だから集団自決しろと経済学者の成田が述べて問題になっていたけれど、バブル崩壊後に老舗企業が低迷した理由の最たるものに、上が詰まっているために、年功序列制の日本において、ステップアップできないという問題があった。上は明るく晴れていて、若い人が多いほど、未来は明るいのなら、何故、日本の人口は増えていかないのだろう。

世間は、経済的余裕が、ロスジェネにはないからというけれど、私は、それだけではないと考えている。それは、戦後民主主義と、そこから生じる偽善により、国の大本を忘れ、経済最優先、家庭の幸福最優先の施策を大善として打ち出していったことにある。誰も国をよくしようとするより、自分さえよければという我欲がそれによって醸成され、お金のかかる配偶者や子供を持ちたいと、あまり思えなくなったということではないか?

昨日、NHK映像の世紀プレミアム『ノルマンディー上陸作戦』をみた。この手の話は、最後は反戦の言葉で締めくくられることで、大体、あらすじが読めている。本当に、その通りの内容となり、サリンジャーの言葉で総括された。ライ麦畑でつかまえてで有名な作者ではあるけれど、生涯にわたって、ノルマンディ上陸作戦における兵役のトラウマに苦しめられたとは、知らなかった。


ノルマンディ上陸作戦に参加後、帰還したサリンジャーは、1ヶ月後に短編を発表した。第一次世界大戦の思い出を誇らし気に語る父親に、こう語りかける場面がある。

「父さん、生意気なようだけど、僕は戦争が終わったら、口を閉ざして何も語らない。それがこの戦争に参加した全員の義務だと想う。死者を英雄に祭り上げては駄目なんだ。僕らが帰還して、ヒロイズムだのゴキブリだの塹壕だの血だのと、話して書いて絵にして映画にしたら、次の世代は未来のヒトラーに従うことになるだろう。ドイツの若者がみんな暴力を軽蔑していたらヒトラーだって自分の野心をひとりで温めるしかなかったんだから」

↑戦争、英雄とされ戦後アメリカの大統領までなったアイゼンハワー夫婦である。勝てばどんな残虐であっても官軍である。

現実は、ノルマンディー海岸近辺のフランス人の家屋が爆撃で破壊され、3万5千人近くの死者を出していた。東北の津波による死者の3倍ほどであるから、大変なものであるのに、公表されたのは最近であり、サリンジャーの感性は、世の中の矛盾を、体験を通じて見抜いていた。みんなは成功を、美談に仕立て上げようとするけれど、実際、世の中のすべては、水原の賭博にあるような、グロテスクな面を見せないように配慮されている。臭いものは、すぐに蓋を被せて、わかったようなふりをするものなのだ。

この作戦の最後の生き残りとされる兵士が、昨年亡くなった。フランスのマクロン大統領が見守る中、葬儀が盛大にフランスの美的センスいっぱいに、行われた。賛否両論があろうが、周辺のフランス人が亡くなったのは、犬死ではなく、勝利への貢献であったと認める方が、遺族には、好ましいだろう。日本にある靖国神社と発想は同じということか。

上陸しに岸辺に向かう兵士達。遠くにいる兵士が次々と打たれて死んでいく。もういくしかない、これが現実なんだと考えたというが、人は誰も縛られた子羊であり、私もそこに立たされていたとしても、祖国のために死ぬしかないと思うしかないだろう。↓

首脳会談で、世界のトップスリーとして、ロシアのスターリンアメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチルであるけれど、世界一の国であったチャーチルの存在が小さくみえるほど、時代の覇権は、左のロシアとアメリカに移っているということを物語っている↓


ノルマンディーの美しい浜辺である。きっと、その頃も、こんな美しい海岸が、血に染まることになった。人は誰しも、ここで海水浴をして、幸せな人生を送りたいとしか考えないのに、ここで、誰もが望まない殺し合いをすることになった。これは、人間の問題ではなく、政治の問題ということなのかわからないけど、中国が、このまま力をつけてきたら、日本は、屈辱的扱いを受けることになる。第二のチベットになってしまっては大変だ。国を大切に想う気持ちを養っていくことが、心から少子化を変えていくことになるだろう。

イスラエルの空に描くイランからのシューティングスターは、何を意味するのか?


仕事を終えた後に、疲れがしっとりと溜まっている状況で、寝るのを我慢して、ブログを書いている。責任者になると、やはり疲れもどっと出て、読み書きする時間もとれず、ただ社畜となるだけである。このまま人生を終えたくないとしても、生活はいきなり変えようがなく、家出しようにも、両親が高齢であるから、置いていくこともできず、ただ、おかれている環境に、人間は縛られているものだと、落ち葉老人のような心境になってくるからいただけない。

前の記事にも、1個の人間は、金魚が金魚鉢にいることを知らないように、時代の影響を強く受けて存在しているに過ぎず、私が未婚であることも、この歯車が合わずに、イライラしてきた人生も、宿命によるものがほとんどなのである。川上量生が、生成AIをつくる上で、愛のことについて話していた。愛は、すなわち自己愛の延長に過ぎないという見解だ。

スマホや、彼女が好きというのも、スマホが手の延長にあるうちはいいが、離れてしまうと、喪失感が生まれる。彼女が好きというのも、一緒にいる間は、自分の所有物として認識していられるが、離れてしまうと、自分のものなのに、無くなってしまったということになる。自分のものだと思わないところに、愛はないのだという考えを述べている。独占欲に近いものなのだということで、彼は愛を述べている。

これには、異論もあり、愛の定義がいったいなんであるのか、この言葉ほど曖昧なものはない。愛という文字を、言葉の後ろにつければ、大体、体裁がよくなるし、暴力愛、信者愛、瘋癲愛、食欲愛、殺戮愛、輪姦愛、戦争愛、無駄愛、雑言愛、変体愛、無人愛と、なんでも、気違いになって書きなぐってみても、変な言葉には聞こえない。このうちの戦争愛について、イランから多くのミサイルが、イスラエルの上空を飛び交った。


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動画でみていると、夜空から沢山のミサイルが、落ちてくるのをみていて、恐怖感を覚える。動画を撮影している者の手は震えている。コメントの投稿欄には、ただただ恐ろしかったと書かれている。そのシューティングスター(流れ星)に見える光の一つ一つが、人類の叡智によって作り上げられた憎しみの連鎖を生むミサイル兵器であるのだ。自国を守るため、相手を破壊するために、作り上げた兵器が、憎しみの光を美しく描き、散っていく。

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人間は科学の成長においてとどまるところを知らない。しかし、人間としての在り方については、えらく子供じみてくる。外に拡張する力、すなわち科学の才能については、無限の可能性があるけれど、人間同士のきまりごとを守って、よりお互いを尊重し合い、豊かに、いがみ合いもなく、仲たがいもなく生きていこうということになると、あまりにも幼稚になってしまうのは何故だろうと言っていたことがあった。

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地球を滅ぼすほどの武器を持った人類が、それぞれwinwinの関係も築けず、憎しみが愛を呼び、愛が憎しみを呼び、地球の上をさまよっている。イランとイスラエルが、ロシアとウクライナが、国と国が争っている状況は、世界大戦前夜といっていいほどの危機的なことである。局地戦ではなく、力のある大国同士がやり合いだしたのだ。世界の破滅が、近づいている音が聞こえる。

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もともと2大国が、核をつくり続ける負の連鎖が理解できなかった。多額の資金を用いて、まだまだ、まだまだと、アメリカもロシアも負けじと核開発を続ける。100発ぐらいあれば、攻撃も戦略も十分なのではないのだろうか? 何故、あんなにも、札束を、暗闇に投げ続けるような真似をしなければならないのか?もう、この宇宙の原理、ブラックホールである虚無の前に、神無き時代の人類は立たされている。

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このニヒルにとりつかれた病を乗り越えるのは、核による地球の破壊か? 美による生の救済か? という場面に立たされているということである。ここに書きながら、人間は、地球を60回も壊すほどの力を手に入れたと信じている思い上がりなのかもしれない。私は、何故、イスラエルの夜空に、ミサイルが花火のように飛び交わねばならないのか? という答えを見つけられずにいる。

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経済が上手くいかなくなり、人々の生活が苦しくなると、時の権力は人々の不満が反権力に向かわないように、架空の敵を作って敵愾心を煽り、一時の求心力を得ようとする。これはいつの時代でも、権力の常套手段だが、人々の不安が閾値を超えると、非合理的な熱狂のもとに、破滅に向かって一直線に進んでしまうことが、しばしば起こるのも、歴史が我々に教える教訓の一つである。

破滅の形態の中には、集団自殺などと言ったものも含まれるが、もっとも一般的なのは国と国の戦争であろう。現・京都大学総長の山極寿一は、『ゴリラは語る』(講談社)と題する子供向けの著書の中で、戦争の原因として「所有」、「言葉」、「アイデンティティ」、「過剰な愛」の4つを挙げている。

私はかつて、この山極の説を簡単に解説したことがあるが、ここでは少し詳しく思ったところを述べてみたい。まず「所有」。これはよくわかる。農耕を始める前の狩猟採集生活の時代には、人々が所有している財はほとんどなかったので、集団の存亡をかけた戦争はまず起こらなかったと考えられる。農耕を始めて、貯蔵している穀物の量や耕地の面積が大きくなれば、これらを強奪するために武力に勝る集団が戦争を仕掛けるようになったのは、ありそうなことだ。人間以外の霊長類は、現在手にしている物以外に所有している財はないので、個体間の、食べ物や性的パートナーの取り合いをめぐる争いはあるにしても、集団間の大規模な戦争はない。

特に重要なのは、土地の所有という概念である。狩猟採集民には、縄張りという概念はあっても、土地の所有という概念は希薄であったろう。獲物がよくとれる草原、魚が沢山いる川、果物が豊富な森は、利用すべき重要な土地だとは思っていても、自分たちの所有物だとは思っていなかったに違いない。農耕や家畜の飼育が土地と強く結びつくことによって、土地は死守すべき重要な財となったのだ。さらに、化石燃料をはじめとする地下資源が、産業の発展にとって極めて重要な財だということが認識されて以来、土地は最も重要な財になったといってよい。国家間の戦争の原因の多くは資源の争奪か、それに伴う領土争いだということからもそれがわかる。

次いで、「言葉」と「アイデンティティ」は後回しにして、「過剰な愛」について。人間ほど「過剰な愛」を持っている動物はいない。愛する者を殺された人の心に芽生えるのは復讐心である。ライオンの群れ(プライドと呼ばれる)は、1頭から数頭の成熟オス、10頭前後のメスと幼獣からなるが、成熟オスが老いぼれてくると、若いオスに群れを乗っ取られてしまう。群れを乗っ取ったオスはまず、群れの幼獣を皆殺しにする。メスは子供を産んだ後、2年間は発情しないため、幼獣がいると、乗っ取ったオスはその間自分の子を作れないのだ。幼獣を殺されたメスは、しばらくすると発情し、自分の子供を殺したオスと交尾して、110日後には通常4頭の赤ちゃんを産むのである。ライオンには愛する子供を殺された後に復讐心は生じないようだ。というよりも人間と同じような「愛する」という感情はないのかもしれない。

しかし、人間は違う。愛する者を殺された人は時に復讐の鬼と化し、場合によっては自分の命と引き換えに、復讐を遂げようとする。アメリカがいくらIS(イスラム国)を掃討しようとしても、イスラム教徒を皆殺しにしない限り、テロはなくならないだろう。愛する者を殺された人の復讐心を消すことは不可能だからだ。テロで殺された人の家族もまたテロ組織を憎み、かくして復讐のスパイラルは回り続ける。この悪循環を断ち切るのは、強者の寛容以外にはないのだが、権力は人々の復讐心を権力への求心力に変えて、政権を維持しようとすることが多く、テロの後には必ず、報復という話になり、テロはさらに拡大再生産されることになる。

最後に「言葉」と「アイデンティティ」について考えよう。この二つは密接に関係している。「言葉」は不可避的に「同一性(アイデンティティ)」を孕むからである。山極は「アイデンティティ」を帰属意識だと考えているようだ。自分は特定の集団に属しているという意識である。家族への愛は、敷衍されて帰属している集団への愛に代わり、最後は愛国心という話になる。大相撲で郷土力士を応援するのも、高校野球で母校を応援するのも、オリンピックで自国の選手を応援するのも「アイデンティティ」のなせるわざというわけだ。

帰属している集団があることは帰属していない集団もあるわけで、帰属集団への愛は、時に帰属していない集団に対する憎しみに変化しやすいのだろうか。対立している他集団へのコンプレックスが強いとき、他集団への憎しみは集団ヒステリーのようになって、国を挙げて戦争に突き進む原因となることも多いのは、先の第二次世界大戦の始まる前から敗戦までの、日本の状況を考えればよく分かる。鬼畜米英と叫んで、敵への憎悪と戦争に勝ちたい願望が頭を占拠して、現実が全く見えなくなってしまったのだ。

山極の洞察で一番鋭いのは「言葉」が戦争の原因だと指摘したことだ。言葉がなければ、概念もなく、したがって国家などと言う実在しない概念を守ろうなどと考える人もいなかったろう。個々の個物としてのイヌは現象として実在するが、イヌ一般は実在しない概念なのだ。個々のがん患者は実在するし、個々の病状も実在する現象であるが、「がん」という名で表される概念は実在しないのである。

アリストテレスは『命題論』で「名称は約束によって意味を持つ音声で、時を含まない」と述べた。この物言いは真に正しいと思われる。名は常に不変の同一性を孕むのである。しかし、すべての現象は不変ではありえず、したがって不変の同一性を孕む名によって表される概念もまた実在しない。残念ながら、このことを理解している人は多くない。もしかしたら、これこそが究極の戦争の原因かもしれない。

イランからはるばるイスラエルの空に届いたミサイルの群れは、花火のような、人間の言葉による産物であるということか? 名は常に不変の同一性を孕むのである。しかし、すべての現象は不変ではありえず、したがって不変の同一性を孕む名によって表される概念もまた実在しない。一切が過ぎていく世界で、名によって表される概念も実在しない虚無の表現であったと言えるだろう。

小説家になるための年間5万円の創作通信講座 1回目の添削が返ってきた!

f:id:nyoraikun:20240414222150p:imagef:id:nyoraikun:20240414222154j:image以下の夏目漱石の書き換えをして、創作学校に送った。1ヶ月後に添削され、返ってきたので、その文章をここに掲載する。これが、10回添削してくれる、プロ養成の通信講座の実態である。高いか安いかを、読者は、ぜひ見極めていただきたい。

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課題『ロマンスを小説に(原稿用紙 3 枚)』を、お送りいただきありがとうございます。大日如来さんの作品『倫敦塔』を拝読いたしました。第 1 回から一筋縄ではいかない課題で、講師を務める私も講評するのに四苦八苦しております。

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受講者の皆さんも迷いながら悩みながら、果敢に挑戦されているようです。まず、どのような作品を選ぶのか? というところから問題が勃発しているわけで、皆さん、ご自身の尊敬する作家さんや好きな作家さん、あるいは作品を選ぶか、もしくは誰もが知っている童話や寓話を選んでいます。

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だいたいこの 2 パターンに分かれますが、nyoraikunさんは前者ですね。ただ、書き換えるという作業は、後者のほうがやりやすいかもしれません。が、ここにひとつの罠があります。「誰もが知っているであろう物語」を「誰も知らない物語」として書き換えなければならないということです。たとえばnyoraikunさんが選んだのが『桃太郎』だとしますよね。『桃太郎』は言わずもがな、誰もが知っている物語です。しかし、読者はnyoraikunさんの書く『桃太郎』を初めて読むのです。ということは当然、初めて読む方にもわかるように書かねばなりません。

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受講生の皆さんは「これは誰もが知っている物語だから、割愛してもいいだろう」と文章をはしょってしまうのです。『桃太郎』に限らず、『シンデレラ』も『マッチ売りの少女』も同様です。おわかりでしょうか。たとえ誰もが知っている物語だとしても、nyoraikunさんが作者の『桃太郎』を読者は知らないのです。

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さて、実際にnyoraikunさんが選んだ『倫敦塔』ですが、夏目漱石は有名でも『倫敦塔』は誰もが知っている物語ではなさそうです。ということは、初めて読む読者の方向けに書かねばなりません。書き換える、というのは、上書きではなく、世界観とその世界をnyoraikunさんのものとして書く、ということです。第 1 回目の課題は『既存のロマンスの冒頭を、小説へと書き換えよう』ですから、登場人物の関係性や立ち位置などもnyoraikunさんの言葉で書く必要があります。

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前置きはこのくらいにして、実際にnyoraikunさんの『倫敦塔』を読んでみましょう。「夏目漱石は…」ではじまりましたから、主人公は夏目漱石だと読者は認識します。ところが 7 行目に「僕」が登場し、「登場人物の名前を夏目漱石にした。」とあります。1 行目から 6 行目まで三人称で書かれていた物語が、7 行目で一人称になり、さらに別の夏目漱石が登場する、という流れでしょうか?

 

おそらくnyoraikunさんは、1 行目から 6 行目を事実として書き、7 行目から創作に移ったのだと思います。が、現状のままだと私が解説したとおりに読者は読んでしまい、混乱してしまうのです。次いで 12 行目に「冒頭では、一度しか倫敦塔を訪れていないということにしてある。実際は…」と続きますが、これは実在した夏目漱石の話なの
か、あるいはnyoraikunさんが作り上げた夏目漱石の話なのか、ここでも読者が混乱してしまうのです。

 

nyoraikunさんの頭の中ではnyoraikunさんが創作した「夏目漱石の物語」として今作は書かれていると思うのですが、読者の頭の中では夏目漱石がふたり存在し(実在した夏目漱石とnyoraikunさんが創作した夏目漱石)どちらに軸を置いて読めばいいのかわからなくなってしまうのです。文章は描写自体に問題はないのですが、人称と視点がブレているので、全体的に(読者の立場から見て)安定感が失われています。小説を書く際、まず一人称で書くのか三人称で書くのか決めて統一させなくてはなりません。それに伴い視点も決めて、読者がすんなりと小説の世界に入って、ブレずに世界を楽しめるように作者は心を配らなくてはならないのです。


質問コーナーにあった語彙力の付け方ですが、アプリのニュースサイトで十分だと思い
ます。ただし、しっかりした日本語で書かれているサイトを選ぶことと、ぼんやりと流し読みをするのは避けてほしいです。ニュースや情報を読み、nyoraikunさんご自身はどう思うのか、どう感じるのか、いちいち考えて言葉にする癖をつければいいと思います。読む時間がないのであればオディブルなどを活用するのもいいと思います。

次回の課題も楽しみにしています。

成功した経営者に醜さを感じるのも、ロスジェネ世代のリアルなのか?

事業で成功した経営者が、起業家に必要なことは、しつこさ、泥臭さとか、パッションとビジョンとか話している番組がある。多くの成功したくて、その番組に観客として参加している人達が、一生懸命に質問している光景がある。何か美しいものを感じない。芸術家がいるのと違い、グロテスクな雰囲気を感じてしまうのは、お金儲けに、綺麗ごとはないという先入観によるものだろうか?

会社で働いてみていて、みんなに望ましい職場等の考えは妄想であるということがわかる。よく経営をリンゴの木の栽培にたとえる話があるけれど、リンゴの実の発育のために、悪いものは、剪定して、捨てていく。社内では、よりよい秩序を形成しようと、あらゆる方策が示され、それを志向するほどに、反秩序(エントロピー)は増大していく。エントロピー増大の法則というから、これは科学的に実証されていることだ。

パソコンで、今ブログを書いている。デスクトップに、ごみ箱のアイコンがある。もし、パソコンに取り組んだデータが、消去されずに残っていくと、どんどん重くなっていき、その重荷に耐えきれずに、数年以内に、買い替えなくてはいけなくなる。お店で働いていても、ごみ箱がなかったら、1週間もしないうちに、ごみだらけになってしまう。トイレがなかったら、お客様は困るけれど、従業員は、近くのコンビニを探して、用を足さなければならない。現実、1日だって営業できなくなるだろう。

変なたとえになるけど、会社内の人間模様も同じことが言える。誰にとっても素晴らしい職場は存在しない。エントロピーが充満するだけなのだ。基本理念と高い要求に合うものだけが素晴らしい職場が、現実における最高の職場になる。そのためには、組織において不要な人を排除する仕組みを、気づかれない範囲でつくらなくてはならない。昔は、大企業の追い出し部屋というものがあった。紙を1日中折る作業をさせて、自発的に辞めていく環境をつくっていた。今では、大変な問題になるから、うまく辞めていくようにさせることが大切になる。

私は情無しではない。ロスジェネ世代でも、2002年に社会人になって私は、超氷河期世代であり、まったく内定を得られずに、20社回ったところで、就活をやめてしまった。あの頃、就職活動をしていた時に、バッグの中にあった座右の書は、ショーペンハウエルの『自殺論』である。高校野球で甲子園を目指して夢みて頑張っていたこともあったのに、何故、こんなにも就活で絶望しているのかと、答えも内面に探していたけれど、実際は、社会情勢の影響を、かなり受けていたといえるだろう。

頑張っても頑張っても、バブル入社組を含めた1つ上の世代の厚い雲に覆われ、出世できずにいた。中には、本来なら、この会社に入らないような人も来ていて、大出世を果たすものもいる世代ではあるが、ほとんどは、一律に出世が遅れている。ようやく、上の世代が退職すると、ロスジェネの出番かと思えばそうではない。どうせなら、下の世代にさせていった方が、将来の会社の発展にはいいと考えるのが会社のエゴである。

少子高齢化の影響で、若くて優秀な人材の囲い込みがおきている。そのための資金調達を、働き盛りのロスジェネ世代から搾取し、下の世代に回す動きが加速している。今になって、この20年間を振り返ることで、私が置かれていた状況は、時代背景が色濃く影響していたことを知ることができた。自分のせいじゃないんだと、少しの安堵があったけど、知恵の実は、怒りと孤独を教えるのは、明治の文豪が述べている通り、現在でも変わらない。

昭和の時代に幼少期を過ごしたこの世代は、親や学校から「男らしく、女らしくしなさい」「学歴がないとよい企業に就職できない」「嫌なことも我慢しなさい」「年上の言うことは黙って聞くもの」などと、理不尽な“洗脳のシャワー”を絶え間なく浴びてきた。

氷河期世代が思春期から成人になるころに昭和が終わって平成となり、一気にインターネット社会になりました。既存の古い慣習やしきたり、社会を動かすルールが大きく変容することになっていったのです。

個性の尊重や多様性という価値観が“当たり前”になっている現代の10代、20代の若年層にしてみれば、「時代遅れ」「非論理的」としか思えない「古い価値観」のシャワーを強烈に浴びて育った、最後の世代と考えて間違いない。

氷河期世代が幼少期から青年期であった当時は、インターネットはまだ普及しておらず、情報源は家庭や学校・地域のコミュニティ、もしくはテレビぐらいでした。そのため、いまとなっては「いびつな価値観」に疑問を持つこともなければ、多種多様な考え方に触れる機会もなかった。

そんな旧来の価値観を徹底的に刷り込まれ、十分にアップデートできずにきた氷河期世代が、社会に出て、年齢を重ね、マネジメント層になることで、昨今ではさまざまな問題が顕在化するようになってきた。

「男らしく女らしく」という価値観からセクハラ発言をしてしまったり、「努力や忍耐こそ至上」という価値観から無理難題を押しつけるようなパワハラをしたり……。

しかし、本人たちにはまったく悪気はありません。「カラスは黒い」というくらい、無意識に、当たり前に認識してしまっているため、誤りであると指摘されると本人は驚いてしまうのだ。

「いったい何が悪いのかまったくわからない……!」と。

無理もない。氷河期世代は、時代を支配する価値観が大きく変化する2つの時代をまたがって生きてきたのであり、その事実に気がつかないままでいれば、当然ながら、現在の社会でスムーズに人間関係を築いたり、うまく能力を発揮したりすることはできない。

このように、①不遇な時代に社会人としてのスタートを切ったこと、そして、②強固なブレインロックのために価値観の変容についていけていないこと──この二重苦が、氷河期世代の生きづらさを生んでいる。

氷河期世代によくあるブレインロックが、「長時間労働こそ善」というものです。氷河期世代が社会に出た当時、教育係を担ったのはバブル期入社の先輩たちです。彼らの働き方を象徴するのが、「24時間働けますか」という栄養ドリンク剤のCMコピーです。

「残業するほどやる気がある」
「睡眠時間を削って働くのが普通」
「体の具合が悪くても会社は絶対に休まない」

私生活を犠牲にしながらハードに働くことが「当たり前」という価値観が刷り込まれた氷河期世代は少なくありません。そのために、健康や家庭を壊し、ドロップアウトしていった人たちもたくさん存在しています。

ひどい場合には、過労によるうつ病などの精神障害や自殺に至るケースも少なからずありました。現在も、ときどきそうした報道を見聞きすることがあります。

長時間労働こそ善」というブレインロックによって、健康を損なうだけでなく、後戻りできないほど心を病んでしまったり、命を失ったりすることさえあるのです。まさしく、人生を大きく狂わせる、危険な社会的洗脳です。

このようなブレインロックを持った人が、管理職である場合、自分自身だけでなく、部下の人生や健康を破壊してしまうことにもなります。

実際、いまだに部下の時間や気力といったリソースを必要以上に削ることに対して躊躇ちゅうちょのない氷河期世代の管理職が少なくありません。

そもそも、個人がいくら長時間働いても、企業の利益にはほとんど影響はありません。現代は、テクノロジーと資本が企業の利益を大きく作用するからです。

企業の利益が高まるのは、みんなが欲しがる価値を生んだときです。株主はそこに投資をするわけです。「従業員の労働時間が長いからこの企業に投資しよう」と考える株主はいません。

日本の労働生産性の低下を危ぶむ報道をよく目にしますが、それもまた、個人の働きや能力が足りないからではありません。1つは長時間労働の多さ、もう1つは先進国の中でも先んじて日本が高齢化社会へ突入したことが、大きな原因であると私は考えています。

2021年時点の日本の非労働力人口は4175万人です。日本の全人口は約1億2000万人ですから、日本人の3人に1人は働いていないということになります。この人口構成で労働生産性を高めるのは、非現実的であるといえます。

何が言いたいかというと、時代の変化による社会の経済状況や企業の生産性向上については、個人レベルで考えてもほぼ無意味、ということです。

これは時代の変化と社会の仕組みのせいですから、個人が長時間必死で働いたり、悩んだり、恨んだりしても、社会の経済が上向いたり、生産性が向上することはありません。

ではどうすればよいのかといえば、答えは非常にシンプルで、「自分ができる範囲のことを少しでもよくなるように変化させ続ける」のです。

私はこれを「0.2%の改善」と呼んでいます。

1日0.2%改善させることを続ければ、10日後には「2%」、100日後には20%改善させることができます。「少しずつよくなってきた……」と実感できるのは、おそらくそのころ……3~4カ月後あたりでしょう。

これを続けていくうちに、先ほど触れた「長時間労働こそが善」というブレインロックも揺らいでくるはずです。なぜなら、いつもよりも短い労働でも、ほとんど大した問題は起こらず、成果や評価も大きな損失が出ることがないことに気がついてくるからです。

短い時間でいつもとほぼ変わらない成果が得られるので、生産性は格段に上がります。すると、余裕が出た分、いままでできなかった新しい案件や企画にリソースがさけるようになってきます。

「この考えは間違っているのかもしれない」
「時代の価値観とずれているように感じる」

ふと気がつくことがあるはずです。そんなとき、人はつい、「そんなはずはない、周りがおかしいんだ!」「自分は悪くない!」という考えに飛びつきたくなるものです。

自己否定をしたくはありませんから、これは当たり前の反応です。

しかし、そのときに勇気をもって、「もしかして自分は本当は間違っているのかもしれない」と疑問を持つことが大切です。そのほんのりとした疑いがあれば、他者の意見を受け入れる心の準備ができるからです。

そして、0.2%だけ相手の言い分を受け入れてみること、譲れる範囲で違った考えや方法を受け入れてみることをぜひおすすめします。そんな形で少しずつ、自分を変えてみることに、ぜひチャレンジしてみてほしいのです。

その際、思考や行動を無意識のうちに制限してくるのが、「社歴が長いほどえらい」「女より男のほうがものを知っている」「年下は年上の言うことを聞くものだ」といった、世代差別、性差別的な昭和時代特有のブレインロックです。

そのために、知らず知らずのうちに機会損失をしてきた人は多いことでしょう。これもまた、氷河期世代を世に沈ませる大きな“罠”になっています。

不合理なブレインロックを自分は持っていないだろうか?
そのために自分は間違った選択をしてきたのではないか?
不合理で理不尽な言動をしてしまってはいないか?

そんな疑いを持ち、気づきを得ることが、ブレインロックの罠から身を守り、生きづらさから解放されて人生を大きく前進させる一歩となります。

「ブレインロック解除×0.2%の改善」

これが、氷河期世代の働き方だけでなく、人生観を大きく変える方程式となるのです。

青梅亀の井ホテル 料理長江田輝美の意地!

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青梅の桜は、まだ咲いているようだ。1968年4月13日に、ここ青梅の愛宕神社の桜の前で、三島由紀夫は、楯の会の制服が出来た記念に撮影をするためにきた。今から56年前に、三島の思いは、ここ青梅を目指していた。

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青梅は、東京都で戦災を免れた物静かな街である。日本の魂を護る場所であると縁起をかついでいたところもあるのだろう。急な階段を登って、愛宕神社のお参りするところから振り返ると、昔は、遠く川を挟んだ向かい側に愛宕神社があったということだ。

 

吉川英治記念館の愛宕神社へ花見にいく予定であったが、母親が、前回は猿がいるかもしれないし、今回は、熊が出るかもしれないと、乗り気ではない。腰が海老にように丸まってきて、身体に痛みやしびれが生じ始めると、気力も低下するものだ。この頃、小さなことでも不満をあらわにするようになった。歳をとっても、背筋がまっすぐな人もいるのに、どうしてだろう。60歳過ぎた頃から、少し、猫背になったのを知ったけれど、それから、稲穂が実ほど垂れるように、ゆっくり時間をかけて、丸まっていった。私は心配でしょうがないけれど、どうすることもできない。

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幼い頃、団地住まいだった私は、隣の家のおばあちゃんが、地面に身体がつくほど、前かがみで、歩くのもやっとであった。将来、歳をとると、身体に不自由するものだと知った。釈尊が、門を出るたびに、老いているもの、死んであるもの、病気でいるものをみて、人生について悩んでいたとあるが、もし、王様の跡継ぎ息子のように、酒池肉林の生活をしていたら、いつか失う日のために、恐怖感が湧いてくるのは理解できる。私もドアを開けてすぐ、そのおばあちゃんが目の前を通り過ぎていった。こんなことを記憶しているなんて、きっと、天国にいる隣の家のおばあちゃんは、知るよしもない。今考えると、江戸時代の日本の風土というものを知る貴重な人であった。話しかけても、もう普通に聞き分けられるかもわからない様子でもあったし、でも、今になって、なぜか懐かしい。

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青梅亀の井ホテルのことは、ブログで以前書いたことがあり、料理を楽しみにしていたのにということで、否定的なコメントを残していた。今回は、大分、リニューアルをされていて、メニューは下記のものとなる。随分と、味と見た目を追求していて、その変化に驚かされた。ご飯が有料であることは変わらないけれど、魚を中心とした献立となっている。顔を上げて、料理を食べる客を見ていても、ほとんどが、高齢の方達ばかりである。以前のかんぽの宿の方が、大判振る舞いといった感じであるが、鍋には、肉が沢山入っていて、肉が苦手な父親は、皆、私に渡してきた。

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メバチ鮪もカンパチも最上等なもので、鮮度抜群である。驚いたのは、青梅のワサビは東京都下で有名であるが、べっとりつけて食べても、ほのかな風味があるだけで、鼻をさす辛さはない。朝日スーパードライも、キンキンに冷えていて、何杯でもごぶごぶ飲める勢いだ。

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茶椀蒸しはシンプルなもので、中に海老や帆立等の具が入っていないことで、本来の味わいを楽しめる。つくり側としては、その分、逃げられないのであって、料理長江田のプライドを感じる。天ぷらは、別に頼んだもので、どれもサクッと噛む間に、じわぁっと口にとろけていくようにうまい。このレンゲにのった塩が、実に合う。

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この肉団子も、いわしと魚介の使用で、胃に優しい。メカジキが、血合いの部分と肉の部分でくっついてある。魚屋の私であるが、どういう切り方をしたのか気になるところだ。この旬野菜の色合いも食欲をそそる。ゴマ豆乳仕立であり、残ったスープもすべて飲み干した。

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メバル木の芽味噌焼きも、淡泊な味わいに、コクがあって、実にテンションが上がる。口にふわっととける美味しさは、時に、物足りなさを覚えるものだが、このどぎつい木の芽色がそうはさせない。焼き芋とレンコンによるシナジーが形成され、この1枚の皿による世界に、この青梅にこられる客との意思疎通を図る挑戦が、ぎっしりつまっている。そう考えると、何かを理解しようと思ったら、遠くを探すなということだ。

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料理の終盤では、海老新丈変わり揚げという揚げ物が出てくる。これが、噛む度に、油の良質な味わいが、込み上げてきて、簡単に飲み込ませてくれない。玉ねぎのような苦みも、少し舌先をかすめるので、酒がどんどん進んでいく。

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コーヒープリンと蕎麦茶で、納得の懐石料理であった。確かに、口コミでみられるように、天ぷらを単品でとらなければ、ちょっと少ないかもしれない。四十路に入り、私も、小食になってきたのかもしれぬ。前は、2時間ぐらい、苦しくなって寝ていることもあった。京都柊や旅館の仲居さんから、食べ放題にいけるんちゃいますと言われたこともある。

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夜鳴き蕎麦は、見た目ほど辛くはない。けど、何度か喉に刺激があって咳をした。旅館で働く人も少なくなり、活気がない印象は受ける。夜中の10時になっても、ゲームコーナーで麻雀をして楽しんでいた人、喫茶店でカラオケをしていて、初対面の宿泊客同士で歌をうたい、上手いと拍手をし合って楽しんだこともあった。すべては、風と共に去りぬというのだろう。でも、その限られたリソースを、多くの宿泊客が望むところに、集中させ、この青梅のホテルを、低価格のまま蘇らせた手腕は、尊敬できるものだ。

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亀の井饅頭が美味しいから、レジで買うために、クレジットカードの有無等を尋ねた時、当初、レジのおばさんの態度はぞんざいな印象を受けた。しかし、それをリカバリーするべく、卑屈な笑顔を浮かべて、彼女にとって最大限の誠意というものに変わった。きっと、クレームやアンケートの結果で、評価が下がる仕組みがそこにあるのかもしれない。

 

両親が、歳をとったことで、また来られるかわからない。温暖化が進み、毎年、夏は、殺人的な暑さになっている。死亡者も、うなぎのぼりだ。もう今年の夏は越せないかもしれないと、両親は弱気だ。最近の異常気象が、SDGSを皆が意識する動機になっているのは事実である。そうでなければ、私達が生きている間だけよければいいと考えるのが、ひどいけど、人間の本性ではあるのだから……

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以前書いた青梅の記事↓

 

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阪神タイガース・プロ野球・スポーツ